2012/05/29

日本・モルディブ現代美術展の帰国展「呼吸する環礁(アトール)―モルディブ・日本 現代美術展」を見てきました。

女装の私が青山spiral gardenにて実施されている「日本・モルディブ現代美術展の帰国展」に行ってきました。これは3/20から4/19までマレ市のモルディブ国立美術館にて開催されていた「呼吸する環礁(アトール)-モルディブ・日本芸術展(主催:国際交流基金)」の帰国展です。日本人6組、モルディブ人2組のアーティストが作品を展示していました。日本からは淀川テクニック、荒神明香、田口行弘など、モルディブからはAfu(Afzal Shaafiu Hassan)やMillzeroが参加と、なかなか見ごたえのある展示です。Afuは砂で絵を描くアーティストとして日本のメディアでも取り上げれられています。




spiral gardenは建物入って右側から入場、左と右に展示がわかれます。左に進むとホール。その展示はスロープをあがって2階からも見ることができ、また、カフェで珈琲を飲みながら見ることもできます。ホールには荒神明香、淀川テクニック、藤森照信の展示。ホールに向かう壁には狩野哲郎、中谷芙二子、Afu (Afzal Shaafiu Hassan)が展示されています。後者2組は映像の展示となっており、カフェからゆっくり見るのも良いかもしれません。入場して右に進むと田口行弘とMillzeroの作品が展示されています。



中谷芙二子さんの霧の彫刻は映像での展示でした。こればかりは現地で体験したかった。以前、日仏学園で彼女の霧の彫刻を体験しています。「状況としての彫刻」という言葉通り、自分やその他の人間を中心とした状況に霧が現れることで私たちの状況は変化します。風景と自分との間に霧が差し込まれることでその関係は変化し、木々や草花や電灯や建築物など見慣れたそれが姿を変えます。幻想的になり、つまり美しいのです。霧は「光」と自分との関係も変えます。視覚できないただ環境としての光が形となって(多くの場合は線)私たちの目の前に現れます。中谷さんの霧の彫刻が展示されている場所では、多くの場合この光は影を伴って現れます。自分が動くと影が動き、合わせて形となった光も動きます。霧は自分とあらゆる物事の間に差しこまれ、インタラクティな作品となります。機会があればぜひ実際に霧を体験してください。





荒神明香さん作品はモルディブの海に飛び込んだ瞬間の泡を体験させてくれます。球体の水の泡のように見えますが実は…。とてもシンプルな作品です。こんなに簡単なアプローチで、海の飛び込む興奮を体験できるなんて不思議な気分です。ホールに展示された荒神さんの作品の右向こうには、淀川テクニックさんの作品が見えます。それは魚の形をしているので、荒神さんの作品を通じて体験する世界を膨らませてくれます。水没の危機に瀕しているモルディブ。この泡がまだ海の体験の美しさを伝え、そして海を畏れる人の心の動きをただ恐ろしいではなく少しでもプラスに転換する力があるものと信じたい。






田川行弘さんの作品は、現地の女性が身に纏う布や男性の着るTシャツを使った作品です。展示された布を見ると幾何学模様や見慣れない言語(おそらく現地語)のロゴが描かれています。田口さんは今回、布をマンホールの蓋や看板の凹凸にあてがい、その上から絵の具を塗ることで形を浮かび上がらせる手法をとりました。その制作過程を撮影。コマ撮りのアニメーションにした映像が、布が垂れた白い壁に投影されています。布に向かって左側の壁には、モルディブでのオープニングパーティの様子が映像で紹介されていました。若者が作品を着用し踊っています。打楽器を鳴らし、踊り、歌い、周りから人が増えカメラの前や後ろで踊り狂う。とても楽しそうな風景でした。現地では、おそらく「パフォーマティブインスタレーション(参照:http://sayonalife.blogspot.jp/2011/07/mam014.html)」としての展示がなされていたでしょう。街中の記号が刷り込まれた毎日着用する衣服。その場所で生活する人々が生きるだけインスタレーションは続くのかもしれません。街中からその記号が消えてしまっても人々の生活に刻まれます。





淀川テクニックさんはモルディブの海辺に集積されたゴミを集め、魚をつくりました。口の中にはモップがあり、ざらざらとした舌を想像させます。なんと尾はのこぎり!ギザギザです。目はサングラス(であったもの)を使っています。うろこの一枚一枚、違った種類のゴミが使われ、ひとつひとつ確認すると時間があっという間に経ってしまいます。




淀川テクニックさんの作品を見るたびに思うのですが、集められたゴミはなんとも力強い。バラバラと川を流される(淀川のゴミを集めて作品を作っているので)ゴミは、本当にゴミなのかどうか疑いたくなる。もちろん、ゴミはゴミ。生活からはみ出た物。しかし、その「生活」からはみ出たものを集めて生活している人だっている。河川敷の路上生活者。彼らにとってゴミは「要らないもの」ではなく生活の糧になるわけです。流れ着くゴミはその周辺の生活の重層的な側面を見せてくれます。それを格差だと捉える人もいるでしょう。多様性と捉える人もいるでしょう。もったいない精神を引き出される人も、ゴミが作品になることに対して批判的な態度をとる人もいるでしょう。そんな周囲の視線の間をくぐり、ゴミの魚はのんびりと泳いでいます。その悠々とした態度が、私に目には力強く泳ぐ魚の姿に見えるのです。




淀川テクニックさんのブログには、作品制作を手伝う現地の若者が紹介されています。彼らにとってゴミとは何でしょうか。観光客が落としたゴミであれば、もしかすると自分たちの生活における資源かもしれません。自分たちの生活圏が落としたゴミであれば、前に書いたような重層的な生活をイメージしていたのかもしれません。

ゴミがあるということはその生活圏に力強さが残っているということなのかもしれない。ゴミが無いということは、それは美しい生活だと考えられるかもしれないけれど、実は骨抜きにされた弱弱しい生活なのではないか、と想像が飛躍してしまうほどに力強い作品をぜひ見に行ってみてください。

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【イベント概要】
会期:2012年5月24日(木)~6月3日(日) 11:00~20:00
会場:スパイラルガーデン(スパイラル1F)
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23 スパイラル1F

【日本・モルディブ現代美術展の帰国展】
■モルディブ大使館サイト内:
■国際交流基金サイト内:

■Spiral Ggardenサイト内:

【参加作家】
狩野哲郎

荒神明香

田口行弘

中谷芙二子

藤森照信

淀川テクニック

Afu (Afzal Shaafiu Hassan)

Ali Nishan (Millzero)

2012/04/20

「ツノムシテン/触展」を見てきました。


女装の私が、東日本橋駅からすぐのgallery*yorucaで4月19日まで開催されていた「ツノムシテン/触展」を見てきました。


デザインと生活文化をめぐるデザインフォーラム "foro 08" (フォロ・ゼロット) のメンバー 西森陸雄、今村創平、橋本夕起夫、松下計、皆川明が2009年2月よりスタートさせた「五感とデザインの関係性」をテーマにした展覧会プロジェクト。その第4弾が本展示。「触覚」をテーマにしたデザインに挑戦する作品群は、見た目に異様。触れたい触れたくないの境目をウロウロと行き来しながら鑑賞できる展示でした。

その中でも特に、ミナ・ペルホネンの皆川明さんの作品が印象的でした。

昆虫の触角を模したヘルメットが置かれていました。全部で3種類。ただただ長い触角が2本伸びているヘルメット。蛍光イエローのビニル製のチューブが何本も伸びているヘルメット。先端に鈴のついた触角が2本あるヘルメット。ヘルメットは自由に手に取る事ができ、もちろん、頭にかぶることができます。gallery yorucaは吹き抜けの階段を挟んが1階と2階があり、その2つは開放的なのですが、広さはそこまで十分ではありません。(だからこそできる展示が素敵なのですが。)

さて、そこまで広くない展示スペースで長い触角のヘルメットをかぶるとどうなるか。ちょっと頭を動かしただけで触角が天井にぶつかります。「がりっ」と音がし、コンクリートと針金が接する硬い感覚がヘルメットを伝わり頭に届きます。条件反射で首をすくめ、そして周りを伺った自分に驚きました。命を狙われているわけでもないのに。びくびくしてバカバカしい…。しかし確かに触角を伝わる違和感で警戒心が高まりました。「んなばかな。大げさに言い過ぎじゃないですか。」多少、誇張しているのは否定しません。ただ、可動範囲が急に狭まる感覚を想像してください。恐ろしいです。

頭をそろそろと動かし、触角を含めた自分の身体を確認します。なんと不自由で窮屈なんでしょうか。何もできません。動けません。そろそろと静かに音を立てないように、動物に例えるならば「ナマケモノ」程の速度でしか動けないのです。展示スペース内でしか体験することのできなかった触角の触覚。建物の外にでて体験すればこの閉塞感から開放されるのかしら。妄想を巡らせてみたのですが、電柱や看板や電線や車や自転車や潜り抜ける扉の高さ、乗り物の天井の低さや一般的な建物の天井…生きづらさしか想像できません。

「私たち人間はもっと敏感であるべきだ」とか「生活環境に情報量が多すぎるのが問題だ」とか声高に言うつもりは無いです。触(ツノムシ)展を通じて、思った以上に人間はコンパクトで、その割に繊細。にも関わらず刺激的な環境で生活しているのだなあと再認識できました。湯葉の厚みほどギリギリの状態で、私たちは歩いているんですね。


…うーん。もう1つ。この展示を通じて感じたこと。鈍感な自分に気づけたかもしれません。そこに何があるのか、自分にとって危険なのかそうでないのか、自ら情報を刺激を取得し現状を把握しようとする触感が鈍感になっている。逆に、与えられる刺激に対しては敏感なままでいる。「私たち人間はもっと敏感であるべきだ」とまで言いませんが、刺激に対して受け身でいることをもう少し意識したい。なるべくなら積極的に感じる姿勢を保ちたい、と思わせられます。

この展示は五感をテーマにしています。今回は第4弾でした。という事はまだ1回展示がある予定です。次回が楽しみなグループ展でした。


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【ツノムシテン 触展】
会期:2012/4/6~4/19【終了】
会場:ギャラリーヨルカ (MATERIO base. 内)
詳細:www.materiobase.jp

2012/04/16

Nerhol新作展「Misunderstanding Focus」を見てきました。


女装の私が、恵比寿にあるlimArtで開催中のアートユニットNerholによる新作展「Misunderstanding Focus」を見てきました。

重ねた2Dを彫り3Dに再構築する事で対象物の新しい印象や解釈を鑑賞者に与えるNerholの新作は、ポートレートをモチーフにしていました。limArt内の展示は大きく2つの構成にわかれています。入り口すぐは大きくプリントされた作品が8点ほど。その奥の部屋には胸の辺りの高さのテーブルに20〜30程の作品が展示されていました。



奇妙に歪められた人の顔をよく見ると地図の等高線のような筋が何本も引かれています。顔はこの線に沿って歪んでいます。線には影が見えます。重ねた紙を彫って作られた作品のようです。しかし顔写真を重ねて彫っているだけならば、このような歪みは起こりえません。顔の輪郭は心電図のように凹凸し、鼻や目がほぼ無くなっている人もいます。

重ねられた顔写真は約200枚。3分間、連続してシャッターを押し続けて撮影されています。撮影された人は3分という短くも長くもある時間、じーっとカメラの前に立っていた訳です。全く動かない人なんていません。目玉は動きます。眉毛だってぴくぴくします。笑顔を3分間作り続けること、できますか。私はできません。顔写真は手前(一番上)から奥(一番下)に向かって時間が進んでいくように重ねられ、彫られます。歪んだ顔はモデルとなった人の3分間の動きや意識でした。

まるで化け物の様に目が盛り上がり恐ろしい形相の写真のモデルは、最も美しい人。顎のラインがシャープで端正な顔をしたヒスパニック系のモデルは、実は、もっと面長でお世辞にも男前ではなかったとか。歪みの最も少ないアジア系の女性は、撮影中とても爽やかでモノをはっきり言う気持ちの良い人だったらしい。

人の3分間全てに焦点をあて動きから想像できる物語や人の持つ特性を歪んだ顔で見せてくれる作品でした。笑顔が綺麗で歯が白くて肌のキメが細かくて人形のようでまたわざとらしい程に人間臭い人間の写真、つまりグラフィック広告に映し出される静止した美しい虚像に慣れた想像力にとっては、とても強烈な作品かもしれません。



私はこの作品を見ながら空間や場所を感じていました。3分という時間が作品の中に表されているからでしょうか。彫り出された線が等高線に見え、地図をイメージしていたからかもしれません。私は自由自在に3分間を行き来し、モデルとなった人の中に滞在し、癖や口調や職業や生活を想像していました。もはや歪みは気になりません。それどころか、愛らしくすら感じます。奇妙だと感じてその対象との間につい引いてしまう自分との境界線は思ったよりも簡単に無くしてしまう事ができるのかもしれませんね。


Nerholはグラフィックデザイン領域で活動する田中義久さんと現代美術領域で活動する飯田竜太さんのユニット。それぞれの環境で得られる経験や知識(ステイトメントにはdisciplineとありました。)を組み込み、新しい表現/基準を提示する活動を行なっています。アイデアを練る田中さんとアイデアを彫る飯田さん。練る彫る。Nerhol。

当日、偶然在廊されていたお二人と話す機会がありました。長いインタビューの後、不躾にも色々と質問した私に丁寧に回答してくださいました。ありがとうございます。ギャラリーの方に聞くと今年は後2回程展示を行うとか。次の作品も楽しみです。


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Nerhol新作展「Misunderstanding Focus」
会期:2012年4月10日 - 5月13日
会場:limArt(リムアート)

■Nerhol
www.nerhol.com 
http://www.facebook.com/Nerhol

■limArt(リムアート)
東京都渋谷区恵比寿南 2-10-3 1F Tel:03-3713-8670
E-mail:nakajima@limart.net  Web:www.limart.net
営業時間:12:00 - 20:00 定休日:月曜

※上記の写真は以下のサイトより引用いたしました。
www.limart.net
http://www.facebook.com/Nerhol


2012/03/31

「超群島 - HYPER ARCHIPELAGO "3.11以後、アーキテクト/アーティストたちは世界をどう見るか?"」を見てきました。



女装の私が表参道gyreで開催されている「超群島 - HYPER ARCHIPELAGO "3.11以後、アーキテクト/アーティストたちは世界をどう見るか?"」を見てきました。ディレクターが同じ(飯田高誉氏/青森県立美術館チーフ・キュレーター)だからでしょうか。2011年大阪での堂島リバービエンナーレで出展されていた作品が数点あり、作品それ自体では既視感のある展示でした

同じ作品でも展示する空間、場所、そして文脈が変わればまた違う経験を得ることができます。世界とは「超群島」と捉えられる3月11日震災以降の日本の構造です。堂島ビエンナーレでは「未来に向けての地球のビジョンや自然観を考察」した作品が展示されていました。藤村龍至さん、大庭大介さんの作品は大阪と同じものでしたが、コミュニティにおける役割・動機の設計や(都市ではないという意味の)自然との距離は「超群島」でもそのメッセージは機能していたように感じます。石井七歩さんはいくつか大阪展示と同じものがありましたが、総じて都市それも小さい単位での都市やビル群の擬人化(少女化)でした。単純にサイズを小さくしたのでなく、単一で、正方形のブロックをそのまま積み上げた画一的な都市やビル群。「安全神話」への問題提起は記号化された少女に対する畏れに近い。いつもながら恐ろしく美しい作品です。

スプツニ子さんの菜の花ヒールはシューズデザイナー串野真也さんとのコラボ。菜の花は土壌の放射性物質浄化を促します。新たな女神の降臨か。大地は女性性を持ちます。汚された自身の体はファッションとテクノロジーによって装飾された女性性により自浄される。男性性をもって例えられる政治に対する諦め。男性である串野真也さんとのコラボと明記されていることが、ほんの少しの希望かな。

ブラックボックスアルゴリズムのGoogle画像検索を用いて街をつくるGraffiti@GoogleはteamLabの実験。そこまでして街をつくろうとするモチベーションは何なのか。疑問に思わない事が疑問。しかし結果、そういった「まちづくり」の活動が続けられてきた事実は、確かにある。

その他、dot architects+水野大二郎さんの作品などが展示されています。4月16日まで。

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「超群島/HYPER ARCHIPELAGO」
会期:2012年3月11日(日)〜4月16日(月)
時間:11:00-20:00
会場:EYE OF GYRE
参加作家:磯崎新、スプツ二子!、teamLab、大庭大介、石井七歩、SAM [田尾松太+井口美香]、キュルル feat. チハルチロル、dot architects+水野大二郎、403 architecture[dajiba]、mashcomix+TEAM ROUNDABOUT、藤村龍至

2012/03/25

六本木アートナイト Roppongi Art Night を見てきました。

女装の私が、六本木アートナイト Roppongi Art Night を見てきました。TwitterのTimeLineを眺めているとあれこれ意見の分かれるイベントでしたね。とにかく、六本木らしいお祭りだったのではないでしょうか。何年か、長く続けば六本木というまちに作用するでしょう。

例えば私は「六本木が浄化されている」という言葉を目にしました。何(A)を何(B)から浄化するのか、「浄化」を考える人によって(A)と(B)は違う単語が入るでしょう。「浄化」を言う人は六本木に課題を感じ、アートナイトがそれに作用している、もしくはしていくであろうと期待しています。

例えば「六本木が活性するだろう」という言葉を目にしました。六本木は活性していないのでしょうか。ある時点の、六本木が最も元気だった時期と比較すると今は減ってしまったと言う人がいます。私はこの夜、お腹が空いたのでラーメン屋に入りました。普段以上のお客さんの入りに店員はパニック状態。隣に座っていた地元のおじちゃまらしき人のオーダーはなかなか来ません。おじちゃまは連れのスナックのママにぼやいていました。「なんだよもう、人多すぎじゃねえか。」手にはアートナイトのチラシがありました。「それなんじゃないの?」ママはチラシを奪い、開きます。「なんだかよくわかんねえなあ。ふ〜ん。あ、なんだ商店街の組合が関わってんじゃねえか。」悪ぶっていたおじちゃまは急におとなしくなりました。そして店の人に何ら言いがかりをつけることなく、その状況(客がたくさんいる状況)を楽しむようになりました。

私個人は、こういったお祭りは苦手で、そもそも夜遊びが苦手な年齢にもなってしまいましたし。夜通しであることを楽しめませんでした。しかしながら、このイベントがまちに何か作用している、六本木らしいイベントであったことは確かです。続けることが大事。

《ヤヨイちゃん》《リンリン》(新作、六本木アートナイト2011年委嘱作品)

タムラサトル 《六本木マシーン》 

 志村信裕 《jewel》

 志村信裕 《jewel》 

久野ギル 《The Antmaster》 

久野ギル 《The Antmaster》 

草間彌生《ヤヨイちゃん》《リンリン》(新作、六本木アートナイト2011年委嘱作品)
テイ・トウワ DJプレイ


 草間彌生《ヤヨイちゃん》《リンリン》


草間彌生《ヤヨイちゃん》《リンリン》

ホアン・スー・チエ 《オーガニック・コンセプト》 

ホアン・スー・チエ 《オーガニック・コンセプト》  

ホアン・スー・チエ 《オーガニック・コンセプト》  

泉 太郎 《糸ミミズのためのスケートリンク》 

泉 太郎 《糸ミミズのためのスケートリンク》  

泉 太郎 《糸ミミズのためのスケートリンク》  

チームラボ×高橋英明 《浮遊する楽器》  

チームラボ×高橋英明 《浮遊する楽器》 

池田光宏《by the Window "六本木アートナイト2012バージョン"》 

池田光宏《by the Window "六本木アートナイト2012バージョン"》  

墨東まち見世にも参加いただいた事のある池田さん。この作品が今回もっとも楽しめました。いるいるこういう窓の向こう。バナナ一つで盛り上がる事ができる窓の向こう。六本木ってなんだか一夜のパーティーナイト。

 SPECIAL LIVE MUSIC curated by Musicity Tokyo
オオルタイチ×珍しいキノコ舞踏団

SPECIAL LIVE MUSIC curated by Musicity Tokyo
オオルタイチ×珍しいキノコ舞踏団

遠藤一郎《未来へ号 RAINBOW JAPAN2012》  

遠藤一郎《未来へ号 RAINBOW JAPAN2012》   

遠藤一郎さんお疲れ様でした。未来へ号が六本木に来たのは2回目でしょうか。あそこまで素直に人に向き合える人が、この一年、日本を縦断しながら人と触れ合うのはつらいこともあったでしょう。たくさんの人のサポートと、そしてご自身の強い気持ちがあったからできたのだと思います。Islandの伊藤さん、清水さん、そして冠ちゃん、お疲れ様でした。(直接私が言えるのは顔と名前を知っている人だけなので全員ではありません。恐れ入ります。)

《AIR CUSHION SHOW》 

ヴィヴィアン佐藤さんが津村耕佑さんの企画に参加されていました。この夜は少し肌寒かったのを覚えています。「寒くないですか?」と聞くといつもの怪しい優しい笑顔で「暖かいのよ」と返すヴィヴィアンさん。2時間ちかく六本木ヒルズ内にこの格好でいらっしゃったとか。歩く家ですね。

志村信裕 《赤い靴》 

 東京ミッドタウン5周年記念アート『いつつのゆびわ』
【クリエイティブプロデューサー】 
坂巻善徳 a.k.a. sense 
【アートディレクター】 
GwaGwa 
【六本木アートナイト特別演出】 
Sawako 
【音響デザイン協力】 
Fly Sound、Taguchi

Antenna《ジャッピー御輿》 

 Antenna《ジャッピー御輿》 


Antenna《ジャッピー幸せ玉》 

Yotta Groove 《花子》  


 牧野永美子+山崎裕治 《純情のこみち》


《命の足跡》 



 Antenna《六本木六世堂》

 Antenna《六本木六世堂》 

青木美歌 《syringe(IDNo.3 Y.S.)》

冒頭で真面目な事を書いていたらそれぞれの作品について触れる体力が無くなってしまいました。いや、言い訳に聞こえるかもしれませんが、作品について一つ一つ説明する事はアートナイトには必要ありません。六本木に夜通し居る理由を人に与えることができただけで、素晴らしいのですから。

2012/03/16

『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』を見てきました。

女装の私が、『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』を見てきました。18日までという事で、会社有休を取りまして向かいました。日の出町へ。こういう時に限ってカメラを忘れる。一日に用事を詰め込みすぎるとこういう事に…。


チケットがあれば会期中何度でも入館できるそうです。私は1223人目。


入り口。淺井裕介さん、八木貴史さん、志村信裕さんの《Goldfish》がお出迎え。玄関に投影された金魚の映像。水槽に飛び込むような気分で玄関を開けると、珈琲の匂い。L PACKさんの喫茶店《L CAMP》も18日まで。八木貴史《愚者の手》は扉の取っ手になっていました。色鉛筆を集積し造形された作品は、なぜだか時間そのものを集積したかのよう。そういえば子どもの頃、色鉛筆が短くなるのを寂しく感じたのを思い出します。


1階の作品は撮影していませんでした。何でだ。まあいい。八木貴史さんの作品を楽しみに浴室へ。先に目に入った志村信裕さんの《lace》に見とれ、何気なく握ったそれが八木貴史さん《デクノボウ》という作品でした。八木さんの作品は生きているようにも見えます。細胞が分裂しようとしているその瞬間を捉えたような。

森田浩彰+大久保ありさんの《ワンダーフォゲルクラブに入会するための良い答え、もしくは、4千円を手に入れるためのまあまあの答え》は作品を見て小説を読みまた作品を見るという流れでニヤニヤ。

階段を上り二階へ。


天窓が綺麗。Yu-Cheng Ta《adj. Dance》がお出迎え。そのまま進んで武田陽介さんの《コタツ》で一息。あ、淺井裕介さんの作品がいるね。


たぬき。

 

狐?


ところで、ミカンは食べられるらしい。テレビの収録がきていたけれど、仕込みの女の子がムシャムシャと食べていました。美味しそうだった。

SHIMURABROS.の《MMY:Mouse Made in YOKOHAMA》の映像は上から覗き込んで鑑賞します。積み上げられたガラスに断面が映ります。人間…ではない。なんだろう。まさかミッキー◯◯ス?断面で見るとまったくわからない。でも何かのぬいぐるみでアイドルなんだろうという事はわかりましたた。アイドルの断面。

丹羽良徳さん《自分の所有物を街で購入する》は良かった。キオスクで購入した雑誌を持って書店に入りその雑誌をレジに持っていき再度購入するという映像。その他同じコンセプトで作られた作品が2つ、合計3つの映像を鑑賞できます。書店で貨幣は何と交換されたのか。

さて、丹羽さん、京島に住んでいるという話を聞きました。っていうか家の前まで行ったことがあります。丹羽さん今度挨拶にいきますね。不可能性と交換行為を主軸においた作品を展開されている彼を、私は、ルーマニアで社会主義者を胴上げするという作品で知りました。東欧革命を知らない若者と社会主義者を結びつける作品。


これは狩野哲郎さんの作品《自然の設計/Naturplan》。私はこれが一番楽しかった。しばらくずっと眺めて、作品の中を動いて林檎の裏側をのぞいてニヤニヤしてた。竜宮美術館だからこそ楽しめたんだと思います。甘い匂いがなんとも言えない。


この建物に住んでいただろう人間ではない彼ら。本当にいたんだろうか。想像しかできません。ただ視覚嗅覚でその存在を想像する事ができます。

青田真也さんの作品。静かです。緑色の光は、竜宮美術館の色つきガラスを通った日光です。一日中ここで眺めたくなる。スペインのレオンで私が入り浸った大聖堂を思い出しました。


mamoruの《etude no.11 steel hanger》は、可能ならば揺り椅子に座ってゆっくり鑑賞していただきたい作品。あれは座ってよかったのかな。狩野哲郎さんの作品と同じくらいに時間を過ごした部屋でした。


これ、この椅子。ここに座ってゆっくり鑑賞したい。エアコンの風でゆれるハンガーが触れ合う音、音。乾燥した静かな響きと余韻。小さな和音は目を閉じると小さなオーケストラに感じる事ができます。まさにエチュード。銀色の味気ないそれは、私たちに想像の習作を与え練習させ、即興でそれぞれの音楽を奏でます。



作品の写真は以上。以降は竜宮美術館内の写真を数点掲載します。

竜宮美術館、この建物が日の出町にあり続ける意味、存在意義についてアーティストたちは何度も議論してきました。視点はいくつもあり、まちの人、まちに訪れる人、アーティスト、行政、ネットニュースで眺める人、その他の人、色々。

この建物は面白いし、生まれたコミュニティや偶然性や連鎖から引き続き誰かの記憶に残る存在になるでしょう。ともすればバラバラになる人と人を繋げる形の無いメディアになるはずです。



「面白いから潰すなんてひどい!」と短絡的に捉えられない存在だという事がわかりました。まちの再開発とともに消えていく建物。60数年の間に何があったのか、知らない私は言えません。「残すべきだ」と誰が言えましょうか。『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』が開催されたのは、長い歴史に幕を下ろすことが決定した竜宮美術館があったから。今日、この展示を経験できた事に感謝し、この建物が無くなる事実を、ただその事実を受け入れようと思います。

竜宮美術館、お疲れ様でした。


しかし、なんだろうこの喪失感。ぽっかり風が通り抜けるようなこの感じ。これを埋めるのは、竜宮美術館について誰かと語りあう時間、竜宮美術館を知る誰かの存在だけなんだろう。