ココルーム主催「冬の星座を見る会」@越冬闘争を見てきました。


女装の私が、ココルーム主催で行われた「冬の星座を見る会」を体験してきました。会場となった釜ヶ崎の三角公園(萩之茶屋南公園)はJR新今宮駅〜地下鉄動物園前駅の南にあるドヤ街(日雇労働者の就労場所)にあります。三角公園では毎年末「越冬闘争」が行われます。年末は、シェルターや医療センターや公共の施設(ふるさとの家、禁酒の館など)が正月休みに入るので、凍死や餓死の危険が高まります。周辺のNPO団体が、こうした状況に対して、新しい年を迎えられるように様々な取り組みをしています。これらをまとめて「越冬闘争」と呼びます。

ココルームから三角公園まで歩いて5分ほど。小西さんと植田さんと3人で話しながら歩いていたので気づきませんでしたが、その道は西成警察署のある通りで、先日のレビューで書いた思い出の場所でした。冬の18:00前は既に真っ暗です。夜の釜ヶ崎は初体験。遠くからギターの音と歌声が聞こえてきます。アンプを通した音で、野外ライブのようです。煌々と明かりのついた公園が遠くに見えます。近づくと、炊き出しを待つ人々が列を成しています。列は公園を蛇のように這います。北側の端にステージがあります。アンプはそこにありました。歌の合間に、司会者が大きな声をあげ、労働者を鼓舞します。その他、企画や活動の告知がステージ上で行われていました。「冬の星座を見る会」では、この三角公園に天体望遠鏡を設置し、月/木星/オリオン星雲を見るのですが、その前に近くの「ふるさとの家」で星についての講義がありました。


先生は和歌山大学の尾久土教授。30分と短い時間でしたが、地球の他に宇宙人が生息している可能性について、最新の情報を元に説明をしていただきました。惑星がその周囲を公転している恒星の見つけ方、生命のいる惑星の環境について、隕石などから採取される宇宙のアミノ酸の共通点、何光年も離れている星の距離の測り方、等々。尾久土教授はシンプルなスライド、途中で「邪魔!」とマイクを置いてしまうほどの大きなアクションで、私たちだけでなく釜ヶ崎の人たちにもわかりやすく説明をしてくださいました。

講義はスムーズに進みません。合いの手がところどころで入ります。前に座っていた酔ったおじさんが教授の話を遮って言葉を投げかけます。質問だったり、感想だったり。時間を気にしながら教授は、答えられる質問にはスライドを巻き戻しながら丁寧に答えていました。目の前の説明を取りこぼさないように無駄にしたくないかのように、おじさんの質問は的確です。そして確実に理解を進めます。恐らく自分の理解がある一定の基準に達したのでしょう。最後に大きな声で一言、感想が印象的でした。「人間の粒って ちっ こいなぁ!!!」

質問をしたのは「ちっこいなあ!」と言ったおじさんだけではありませんでした。生命生存の可能性を探るべく火星へ有人探査が向かう話をしている時に「でも、探査に言った人間の影響で生命の証拠が残るんとちゃうの?」と質問をする白髪長髪のおじいさん。「300光年の星の距離を測るって事は往復600年かかるんですか?」と質問した長髪でガタイのいいお兄さん。まるで大学の講義そのものでした。


講義終了。メインイベントの天体観測が始まります。大きな台車をひいて三角公園に向かうと、ステージではライブが行われていました。まばらにある焚き火は大きく燃え上がり、その周りで人々が暖をとっています。ステージから少し離れた場所で天体望遠鏡は組み立てられました。何が起こるんだと興味を持った人が集まります。小西さんの知り合いや、途中合流したのぼるさんのお友達、植田さんが紹介してくださったまっちゃんさん。望遠鏡が完成するまでの少しの間、近況を報告し合います。一年間お疲れ様、なのか、越冬頑張ろう、なのか、活動の勧誘なのか。40年も続く越冬闘争。参加している人々の目的も多様化するのでしょう。

天体望遠鏡が完成しました。尾久土教授が月、木星、オリオン星雲と座標を合わせます。その度に列ができます。長くなる列。望遠鏡を覗いた人は興奮して周りにいる誰かに感想を投げます。それが知り合いだろうがなかろうが関係ありません。とにかく伝えたいんでしょう。私に「ゴツゴツしとった!泡々しとった!あら人が住める場所やないわ!」と全く知らないおじさんが話しかけてきたんですもの。


ココルームに来なければ、「冬の星座を見る会」に参加しなければ、釜ヶ崎のど真ん中の三角公園に来ることはありませんでした。まっちゃんに会うことも、のぼるさんと話すことも、小西さんの「明日があるさ」を聞くこともありません。釜ヶ崎の姿をココルームを通じて見ることができました。それは一側面に過ぎませんが、私は記憶して記録しています。難しい問題、消したい歴史、いわゆる負の(誰にとって負なんだ? という話ですが…)記録は、消そうとする力を影響を強く受けます。釜ヶ崎に限った事ではありませんが、「無かったことにされる」のだけはごめんですね。