2014/05/03

拡張するファッション FORM ON WORDS 「試着」のワークショップ(ショーモデル)に参加してきました。

水戸芸術館現代美術ギャラリーにて5月18日(日)まで開催中の「拡張するファッション」と、その中のイベントFORM ON WORDS「試着」を見てきました。

拡張するファッションFORM ON WORDS「試着」

FORM ON WORDSのショーは吾妻橋そばにあるASAHI ART SQUAREで見たことがあり二回目です。その時の舞台も今回と同じく墨田区を拠点に活動するポスト工務店集団BUGHAUSによるものでした。建設資材で組まれたジャングルジムの中に13もの服がかけられている中を、人が動き服を試着しパフォーマンスを行います。モデルは開始30分前から募集。誰でもモデルになることができる参加型のファッションショーでした。


新作コレクションは「ファッションの図書室」というFORM ON WORDSの作品に収蔵された300着の古着とそれにまつわる物語を組み合わせて作られました。3つほどの物語が組み合わされて作られた服は、そのコンセプトシート(展示室前にあります)を読むだけで刺激的な気分になります。例えば「天気が良くなる服」とかね。さて、シートに書かれた番号とハンガーに貼られた番号を照らしあわせて服を探してみると大抵の場合、想像を裏切られます。色鮮やかな服を想像して見ると真っ黒だったり。可愛らしい造形を想像していたのに不可解な造形だったり。ショーが開催されていない時は自由に試着ができます。(展示そのものは18日まで開催しています。)


ショーは約30分。13人がジャングルジムに入り服を試着します。ジャングルジムの中央の床に描かれた交差点を中心にウォーキングがはじまり、しばらくすると13人が13通りの動きを見せます。手を優しく挙げたり、花と棒を交換したり、死んだふりをしたり。参加者への事前の説明は約10分くらいしか行われていません。複雑な動きができるのは何故だろうと思いよく見るとモデルの耳にイヤフォンが見えます。iPodを使って指示を出していたようです。私が見ていた回は、13人のうち2人はパフォーマンスアーティストだったらしいのですが、それでも残り11名はほぼ素人。しかし完成度がとても高いのです。個々の服が持つ物語を想像させる動き。個々が際立ち、その上で交差し、物語の集積が一つのジャングルジムの中で複雑なレイヤーを見せます。


どうやって作っているのか興味が湧いたので、その場にいた知人に仕組みを聞いたら「参加してみるとわかります」と口説き落とされたので、参加してきました。以降、参加した上での感想です。帰りの電車でメモをしたひとりごとをそのままテキストにしております。


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ショーにおける自分の役割について。ショーを構成する部品としての役割を意識したかどうか。意識した。しかし、自分が成り立たなければショーは台無しになるかどうかといった責任については考えなかった。13名のうち誰も主人公ではなく、何より服が主人公だしその服がみせる物語が大事なんだろうと感じていたから。私はただのマネキンだった。


耳元で囁かれる物語を聞いているのは私だけ。服と対峙しているのは着ている私だけ。誰にも聞こえない物語を、私だけが聞いて触れてなぞることができる物語を演じる。階段ですれ違う彼女たちも「私」だけにしかわからない物語を動いている。おそらく彼女たちの物語の中で私は存在していないかもしれない。私ではない何かとして存在していたかもしれない。こんな誰とも共有できない「私」の物語の交差がショーであることをなんとなく理解していたと思う。


ジャングルジムを取り囲む人々は(13:00の回は私もそちら側だったが)そんな13物語のレイヤー構造が立体的に交差する集積をファッションショーとして見ていた。


試着した服を脱ぎ、着ていた服に袖を通して同じショーに出ていた何人かと話した。動きを映像でみながら、この時はどんな指示が耳元で囁かれていたかを共有した。不思議と、物語全体がなんだったのかを語り合うことは無かった。違う物語を動いていたことだけ確認できればよかったのかもしれない。わかってもらえないと思ったのかもしれない。たぶん後者。あの物語は私にとって具体的だったけれども他人に伝えられる気がしない。(スタッフとは話したけれど。話したというか、言葉にしたのはスタッフだけだった。)


実は物語は機械的に作られた音声によって読み上げられていた。記号としての物語。インプットされた記号を脳が処理して物語が構築されると同時に野上絹代さんによる指示で体を動かす。動きは脳を刺激し処理が進み物語が更新される。「私」と私の境界を失う。今日は試着だからよかった。脱げば戻ることができるから。日常は、朝起きて会社に行って仕事をして帰る毎日を脱ぐことなんてできない。動いているんだか動かされているんだか境界線を失う状況はそこら中に転がっている気がする。テレビや広告や道路の指示やマナーの中で生きていると。


動いていることと、動かされていることの境界線を見失わないようにしないといけない。選択しているのか、選択させられているのか。考えているのか、考えに導かれているのか。生きているのか、生かされているのか。「試着」で人間を試着した気がする。人間のショーを見た気がする。


ショーに出演した皆で映像をチェック。放課後みたい。