丸尾末広はこういう人だったのか。




芋虫 (BEAM COMIX)

芋虫 (BEAM COMIX)







小説を原作とした映画を見て落胆することが多くないですか?「無骨だけれども優しい不器用な男を想像していたのに、なぜあのジャニーズ俳優が起用されるの?」「水のような透明な女性を想像していたのに、なぜあのアイドルが起用されるの?」落胆というよりも憤りが先にたつ作品が多すぎる。原作を愛して作られた映画やドラマは数えるほどしかありません。





さて、この芋虫は、江戸川乱歩の小説が原作になっていて、まあ、この漫画に興味を持たれる方の多くは、江戸川乱歩の原作を多く読んでらっしゃる事でしょう。私もそう。非日常が平然と描かれている世界観…芋虫はその代表格とも言える作品です。戦争で大怪我を負い、芋虫のようになった夫と暮らす妻の狂気を淡々と物語ります。





四肢を無くし、芋虫のように這う男と、五体満足な女のセックスシーンを現実の世界で、私の生活の中で見ることはありません。結局、本を読みながら頭の中で想像するしかない。その想像の世界にはフィルターがかかっていて、それは、あまりにもひどいものは想像したくない、というフィルターで。芋虫とはいえ造形の上で非日常なだけであって、その顔や汗や精液や血や、そういったものは絵画のように繊細な配置をもって描かれているわけです。





しかし、丸尾末広はそうではなく、現実的な芋虫を描きました。戦争をくぐり抜け、何年も生き抜いた人間の顔にヒゲが生えていないワケがない。禿げていないという確証などもてない。腹はでるだろうし、皮膚は年齢を物語るように凹凸を見せるだろう。精液は汚らしく汗と混じり合う。恍惚の表情などは艶やかなわけがない。綺麗事を江戸川乱歩が描いただろうか。まさか、そんなはずはない。汚らしくも生々しい生身の人間の内面からはじけとぶ異常で妖艶な愛が本質にあるはずだ。ということを、再認識させられる一冊です。





ただ





小説でも漫画でも変わらぬ魅力を持ったモノがあります。それは「ユルス」という一言。外界とつながることができる最後の手段であった「視力」を愛する女性に絶たれた芋虫。彼(人間とも呼べない風貌だけれども)が、それを悔いた女性に詠んだ3文字の辞世の句が「ユルス」でした。目も耳も口も効けない芋虫は、目を突いた女の言葉が聞こえない、表情が見えない、何もわからない。頼るのはただ今まで二人で過ごしてきた時間が証明する彼女という存在と、自分と彼女の間にある愛という概念だけ。それがいかに純粋であったかを物語っています。でなければ「ユルス」ことなどできようか。そして自ら命を絶つことなどできるだろうか。





「ユルス」の一言から丸尾末広の漫画版「芋虫」は始まります。私は原作への愛を感じました。