2011/01/31

「ソーシャルネットワーク」を観てきました。



女装の私が「ソーシャルネットワーク」を見てきました。





twitterやFacebookでは色々と議論が沸きあがっているようですが、単純に私はDavid Fincher監督の作品として楽しんできました。エンドクレジットにもありましたが「事実に基づき、創作を加えて作成され」た映画でしたからね。





訴訟/秘密保持契約が渦巻くMark Zuckerberg氏は、Facebookという一国家以上の存在感を持つソーシャルネットワークを作りました。知られすぎたこと、知らせてはいけないこと、知られたくないこと、知らせたいこと、それぞれが高次元に織り成されたMark Zuckerberg氏とFacebookという存在は国家以上に意思/生命力と自己増殖能力を持っています。そのメカニズムを丁寧に説明したものが、「ソーシャルネットワーク」という映画でした。





何が事実に忠実で何が創作なのかを想像し議論し突き詰めていく事は確かに面白く、人の興味を惹くでしょう。そうして広がっていくネットワークはFacebookというソーシャルネットワークの一部分となり、Facebookはその生命力と自己増殖能力を見せ付けていきます。「ソーシャルネットワーク」から読み解かれるFacebookの日本への浸透について議論することは、ある一定の集団にとって生死をわける議論。事実、そこで繰り広げられる「正しい」「間違っている」「事実を受け入れろ」「まやかしだ」「主体が重要だ」「様子をみよう」「早く何かをしよう」「もう終わりだ」「無理だ」「次は何がくる」の議論は、生き死にを繰り返す細胞を見ているかのようです。その生き死にの議論のリズムは、周囲を引き込み、結果としてFacebookという意思/生命の増殖に繋がっているのがわかります。(なんとなく)





こうした議論や引き込みといったネットワークを生み出すメカニズムを映画の中にも外にも設計して作られていることが、映画として素晴らしい題材/表現でした。「ソーシャルネットワーク」は、観ている私たちと私たちが構成している社会や国家に対してソーシャルネットワークを広げていた。そしてその網はいづれFacebookに引き込まれていく。もしくはネットそのものに、より大きな単位で引き込まれていく。





David Fincherはいい「作品」に出会えたんだろうなあ。





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