G-tokyo 2011のギャラリー・デイズに行ってきました。



女装の私が、G-tokyo 2011のギャラリー・デイズに行ってきました。





どのギャラリーが出展され、そしてどのような作品を見ることができたのかは、下記のART iTブログにフォトレポートが掲載されていたので、そちらを見ていただければよいかなと。その中でも私の記憶につよく残っていたものについて、簡単に。





ART iT / G-tokyo 2011 Part1


ART iT / G-tokyo 2011 Part2


ART iT / G-tokyo 2011 Part3








ギャラリーSIDE2. ハーモロディックス」/ Peter McDonaldが5点ほど。その他、ROB PRUITTやIsabel Nolanが展示。特に記憶しているのはPeter McDonaldの絵。デフォルメされた人の形の頭部分が、印象深い色と円に近い形 - つまり直線の無い/角の無い形 - で描かれている。たぶん思考、というか人が考える内容や方式という形や色でなんとか差異を説明できる部分を絵にしていたのかもしれない。女装をしていた私には強烈なインパクトだったよ。





シュウゴアーツ. 戸谷成雄『ミニマルバロック IX』」/ ウクライナ旅行を思い出しました。中に入れない教会の中をなんとか覗こうとして、3cmほどの幅の柵の隙間に目を凝らし、そうして先に見えた像。錯覚のはずなんですが、その像の首が動き私と目を合わせました。それに近いイメージを、隙間からこの作品の中を覗いた時に感じたのです。





ケンジタキギャラリー. アルフレッド・ジャー」/ 鏡に映ったライトボックスの画像には、少年少女、のような不安な目をした人が写っていました。全てが見えるのではない、見ようとした「私」とそれに対応するかのように表情を見せる作品。子供の表情を見て(子供がたくさん写っているそういうライトボックスの作品がありました。)、「可愛い」だとか「純粋だなあ」とか「無垢だなあ」とか、それだけじゃないんだよなあ。私はその子供の作品に、たじろいで、一瞬近寄れませんでした。強かった。





ワコウ・ワークス・オブ・アート. ヴォルフガング・ティルマンス」/ 悔しかった。ステキだと思ったのに、その理由がわからなかった。ART iTのインタビューを読んだ今も、彼の顔写真のすぐ右下にある爽やかな色の写真によって、「なんて爽やかな人なんだ」と思ってしまったほどに、興味はあるのにもかかわらず理解が及ばない。悔しい。





小山登美夫ギャラリー. 菅木志雄『連関空』」/ 「連」らなっていた別のモノとモノが「関」かわりあって「空」間を作っている。と、私は感じ、同時につくられた「空間」は何になろうとしているのかなあと、イメージしていたけれども、肉感や社会しか想像できなくて、なんだか不安になった。今の日本を俯瞰した時の寂しさや不安に似ていたかもしれない。





その他、まだまだ気になる展示がたくさん。「オオタファインアーツ. 樫木知子」「ミヅマアートギャラリー. 天明屋尚」「アラタニウラノ. 加藤泉」などなど。2月は六本木ヒルズ周辺に現代美術ギャラリーが5つもオープンするとのこと。要チェックでございました。





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G-tokyo 2011


2月19日(土)-20日(日)ギャラリー・デイズ


2月21日(月)-27日(日)エキジビション・ウィーク


http://www.gtokyo-art.com/