青山悟個展「芸術家は人生において6本の薔薇を真剣につくらねばならない」を見てきました。


女装の私が、MIZUMA ART GALLERYで7月9日まで開催されている、青山悟個展「芸術家は人生において6本の薔薇を真剣につくらねばならない」を見てきました。







白い四角の部屋の壁3面にミシン刺繍によって描かれた薔薇が5本。残り1面には白く思い布が垂れて扉になっています。くぐると黒く重い布が続き、その先にある小さな黒い四角の部屋は”ほとんど”光のない世界でした。部屋の天井ほぼ真ん中から左に向けて静かな赤い光。その先に薔薇が1本あります。赤い薔薇でした。しばらくその小さな黒い四角の部屋に立っていると、目がその暗さに慣れ、薔薇が鮮やかに見えてきます。赤い光に照らされた薔薇の鮮やかな花弁は、白い四角い部屋にあった5本の薔薇と同様に、丁寧に描かれています。しばらく花弁を見つめてから茎に目を移動させると、錯覚により茎を描いている糸は緑色に染められます。(在廊されていたご本人から聞きましたが)黒い部屋の薔薇は一色の、白銀色の糸で描かれていました。黒い布を戻り白い布をわけて白い部屋に戻ると、もう一度、5本の薔薇が目に入ります。







この作品を体験するまで気づくことのなかった視点を与える/経験させる作品でした。黒い部屋の薔薇ははたして「赤い薔薇」なのか「白い薔薇」なのか。目に見えるそれは「赤い薔薇」だけれども実は「白い薔薇」なのだ。赤と白を同時に見せる薔薇。相反する(と思しき)2つのイメージを同時に表現する。「そのうちのどちらか」を決定するのは、薔薇を見ている本人である。見ている本人が不在であれば、薔薇は赤でも白でもない。「どちらか一方」の「どちらか」が示す二項対立は、もしかすると、本人が安心するために作り上げた嘘の対立なんじゃないか。赤と白を同時に言う言葉は無い。無い事を説明するのは(相手が自分であれ他人であれ)ストレスで、不安だから。







6本の薔薇は、大量生産の道具である工業用ミシンで制作されました。「大量生産のためのテクノロジーである工業用ミシンを用いて丹念に縫い上げられた刺繍作品を通して、現代人の生活とテクノロジーとの関係性を批評し、またそれにより失われつつある人間の感受性や創造性についての問題を提起する」作家青山悟氏は、展示にあたり「薔薇をつくることを自分の作家活動において二度としない」と宣言しました。その気迫、覚悟が投影されているからでしょうか。何百年も生きた作品かのような存在感。素敵、上手、本物みたい、美しい、可愛い、全てをなぎ払う力強さと繊細さ。赤い薔薇は労働党のシンボルで、政治を意味しています。白い薔薇(赤い照明がなければ白く輝く薔薇となる)は西洋画におけるマリアのシンボルで、美術を意味している。この薔薇は、では、政治なのか美術なのか。見る人の世界に問いが投げかけられます。







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ミシン刺繍によって表現される6本の赤い薔薇。それが表層上、本展の全てです。多くの象徴性を持ち、美しく、同時に陳腐である薔薇のイメージに対し、いま敢えて真っ向から取り組むこと。それが、「労働」という概念や、政治と美術、手工業と機械工業、イマジネーションとアプロプリエーションなどの二項対立等に対する問題意識を反映した作品群、「Glitter Pieces」(2008~)を経たうえで作家が選択した新たな方向性です。青山は自ら「薔薇をつくることを自分の作家活動において二度としない」と宣言することによって、アートが本来持つロマンティックさとその強度を呼び起こさせる一方で、「作品か、作家か」という価値や評価軸に対する疑問を私たちに投げかけます。はたして作家最後の薔薇たちは有効性を持って現代に咲くのでしょうか。

MIZUMA ART GALLERY 展示紹介文から引用)

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赤を女とし白を男とする現代。女装の私は、青山氏の薔薇を自分と重ねました。