laurel roth(ローレル・ロス)「Supernatural」を見てきました。


女装の私がMEGUMIOGITA GALLERYで8月6日まで開催されていたlaurel roth(ローレル・ロス)「Supernatural」を見てきました。



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2m四方を超える大きさのタペストリーからは「生殖」がモチーフの「自然からの越境」というテーマが伝わった。遺伝子によって同じ動きを取り続ける蜂は人間のメタファーともいえる。耳の細胞が移植されて背中に耳が生えてしまったねずみや、クローン羊の親子。二匹の蛇の螺旋構造。ウロボロス。左右に描かれたイッカクは不老不死の薬になると言われた角を巡り、人間は闘争した歴史がある。自然から越境せんがため自然に頼り、自らを滅ぼす象徴、という事なのだろうか。




木を丁寧に磨いて作られた骨の装飾品やクリスタルガラスで作られた動物の骸骨には、自然物と人工物のギリギリ境目が切り取られて表現されている。それは自然に生きる野犬が持つ不自然さなのか、人間が自然を把握しようと造形に執着しても手に入れられない完全な把握を意味しているのか。人間は造形により自然を抽出し、その造形物によって自然を完全に俯瞰し把握しその仕組みに介入しようと試みる。しかし人間が自然から抽出する造形物も自然の一部である。人は自然を越境することはできない。自然は宇宙のその先にまで広がり、謎や畏怖や優しさや美しさを持って人を包み込む。ちなみに、今回展示されていた野犬の骸骨には「野犬(自然)を飼いならしてペット(人工的なもの)にした行為」の象徴だと考えられる。






生理用ナプキンが赤い毛糸で編みこまれている。生理の血にまみれた人間の人工物には、ピルなど避妊用の薬の名前が書かれている。生理用ナプキンや避妊具は生殖という自然に対する人の介入行為と考えられる。美しいとされる体の獲得を目指すために試みられた自然への介入である。






作家は自然への介入(越境を伴う把握)に関する造形へのこだわりを、装飾へのこだわりを通じて表現している。丁寧につくられた作品は美しいが、「美しい」と口に出すことへのためらいを与える。このためらいは、人間が超えようとしても越えられない、超えたつもりが超えられていない、自然への距離を感じさせる。だからこそ人は、私たちは、自然を超えようとする。自然を畏怖し尊敬することなしに、私たちは進化することはないだろう。