Anna-Wili HighfieldのPaper Sculptureを紹介します。



女装の私がオーストラリアの作家Anna-Wili Highfildさん(以下Anna-Wili)のPaper Sculptureを紹介します。書いて字のごとく、紙で作られた彫刻です。紙でつくられた立体はいくつもあります。折り紙、紙粘土で作られた彫刻、ダンボールを組み合わせた立体物などなど。Anna-Wiliの作品は、紙であることは一目瞭然であるにも関わらず、私達に何かを語りかけます。


紙の彫刻は、色を縫ったコットンペーパー(木綿繊維を用いた紙)を手でちぎり、木綿の糸で縫い合わせて作られています。肌の弱い赤ん坊に着せる服を縫うかの様に、繊細な”何か”を包むための外側を縫い合わせるかの様に、彼女の作品は繊細な彫刻となります。手でちぎっているからでしょうか。紙は幾何学的ではない有機的な立体を見せています。


紙の彫刻は、物理的に、空気を多く含みます。紙は外側を作ります。しかし中身の無い彫刻です。その空虚さは作品の繊細さによって際立ちます。自己を持たない動物に感じるある種の喪失感(言語コミュニケーションができないという)に似ています。ところがこの紙の彫刻は、愛らしさにも似た人間的な…動物的な印象を私たちに与えます。私は写真でしか見ることができていませんが、こちらを見据えて木にとまる梟の彫刻も、遠くを(たぶん食べ物を)見つめる小鳥の彫刻も、パンダも馬も、色でたとえるならば脈打つ暖色の球の形をした有機物がそこにあるような気がします。動物に対して感じることがある”生きている”という共通点への安心感に似ています。


Anna-Wiliは母親です。娘がいます。紙の彫刻というスタイルは、娘がまだお腹の中にいたある晩遅くにAnna-Wiliに訪れました。その日以来、Anna-Wiliは生まれてくる娘のために作品を作り続けました。木綿繊維のコットンペーパー、木綿の糸、手でちぎられた断面、娘のために作られた作品は、形式そのものに優しさが伴います。


母は娘に生命を伝えています。多数性と同質性。人間ではないという違い、空虚さ、迫る恐ろしさと、動物であるという共通点、愛らしさ、手触り、優しさ。私は母親から笑顔を教わりました。雷のなる恐ろしい夕方も、母親の笑顔は「大したことあれへん」と私に語りかけていたような気がします。思春期の反発から、笑顔を封じ込めた時期もありましたが、今の私は笑顔はかけがえのない宝物です。母から娘(私は一応息子、ですが…)へ語り継がれる作品は、おそらく、見る人それぞれの経験に寄ると思いますが、自分のルーツを思い出させるのかもしれません。


Anna-Wiliが母であり娘のために作られた作品だと知れば、紙の彫刻から受ける印象に納得します。なぜ、娘の為のその作品を、展示したり販売する事になったのかはわかりません。興味のある所ではあります。もしかすると、Anna-Wiliは今は、娘に対して別の何かが必要だと感じているのかもしれませんね。紙の彫刻の時のように、新しい何かが訪れたとか…。


さて、Anna-Wiliの作品はオーストリアはメルボルンのHermes Storeに展示されているそうです。日本にやってきたら、ぜひ見に行きたい作品ですね。