2011/12/30

「ココルーム」に行ってきました。


女装の私が、大阪のドヤ街にあるココルームを訪れました。ココルームは”NPO法人こえとことばとこころの部屋”が主催している施設の一つです。ココルームは西成区に3つの施設を持っており、一つはカフェ「インフォショップ・カフェ ココルーム」。その他、「カマン!メディアセンター」と「えんがわ茶屋 こころぎ」です。「カマン!メディアセンター」ではアサダワタルさん岸井大輔さんが作品制作を行っていました。その記録はこちらから(pdfファイルが開きます)見ていただけます。ご興味のある方はご覧ください。

2011年秋に浅草のアサヒ・アートスクエアで開催されたAAF2011報告会で名刺交換をした植田さんにご挨拶をすべく私はココルームに行きました。


緊張しました。実際。西成区の商店街を歩くというだけで。子どもの頃から、親から、西成区に行ってはいけない、「あーなったらあかんで」と脅しの言葉を投げかけられていましたから、恐ろしい場所だという記憶しかありません。父親は、区は違いますが、路上生活者のサポートをしていました。問題意識を抱えて社会福祉について研究し評価を行なっている(定年を過ぎても)父親を見ているとそこには嫌悪などはなく改善しなければならないという使命感に近いものを感じますが…「自分の子どもはそうなって欲しくない」という強い差別的な意識は伝わりました。また、インターネットを通じて得られる「北斗の拳の世紀末を体現している地域」という情報。恐ろしい写真の数々は、危ない場所である、という単純な印象を与えるのに効果的です。加えて、私は学生時代、西成区の路上でバイク事故を起こした為に西成警察署に呼ばれた経験があります。ドヤ街のど真ん中にある灰色の建物。その周りには、昼間っからお酒を飲み倒れる男たち。西成警察の警察官が感じさせる威圧的な印象。あまりにも非現実的で「もう来たくない」と思わせるのに十分でした。十分だったのですが、追い打ちをかけるような事があったのです…。バイク事故の件で西成警察に行く当日のことです。保護者同伴が必須だった為、母についてきてもらうようお願いしていました。大学在学中だった私は、授業が長引いてしまったので母に電話し先に西成入りをしてもらう事に。待たせてはいけないと急ぎ電車を乗り換えていると電話がなりました。母親からでした。泣きそうな声で「ちょっと早く来て頂戴。怖くて動けないの。」と。母は九州生まれのとても気丈な人で、ちょっとやそっとの事で弱音を吐きませんし怯えません。いつもニコニコとしていて、その笑顔に何度となく救われました。その母親が泣きそうな声で電話をかけてきた。これはただごとではない。私は走りました。指定された喫茶店に向かうと、母親が隅っこの席で、私の顔を見るととても安心した顔で、座っていました。喫茶店は西成警察の目と鼻の先です。だいたい30メートル。そんなたったちょっとの距離も耐えられない程の空気が、西成区には漂っていました。


ココルームに着いて珈琲を飲んでいるあたりから、私のそうした恐怖とか先入観は消えてしまったようです。そこに出入りする数人は、私が昔恐れていた日雇労働者の人たちです。でも、その恐れは一側面を全体に広げたフィクションでした。競艇チャンピョンになったとしきりに自慢してくる小西さん。「明日があるさ」の歌詞をひらがなにして印刷してきたネコさん。お酒を1年も絶っているのぼるさん。近くにいて、話している声を聞いて、ちょっと会話する。

小西さんとは長い時間、会話のようなものを交わしました。目を見て話しました。競艇が好きで2万円勝ったからチャンピオンになって、1月に防衛戦がある話。歌が好きで「明日があるさ」は歌えるけど「愛の讃歌」は難しいから歌えない。競艇の防衛チャンピオンになったら次の目標が無くなるから歌手になることを目標にしようかなという目標の話。三角公園で植田さんが「星を見る会」の告知をしているのを聞いている時、寒いから「焚き火にあたりに行こうか?」と言うと、植田さんの前だからちょっとかっこつけて「大丈夫大丈夫」という強がり(後ろを向いて本当に寒そうな顔をしていたのを、私は知ってる。)な面。

小西さんは障害があって、でもそれをものともしないで生きている。ココルームで距離を縮めて話して初めて私は小西さんが同じ生き物で、アウトプットの方法は違うけど、似たような事で喜んだり悲しんだりするんだという事を知りました

今まで誰も見向きもしなかった人々の物語が、詩人や日常編集者や劇作家が関わり、発表されています。きれいごとではなく、それは「しんどい」とか「金がない」とか「金くれ」とか生々しい声の集積。声にすらならず、形にもならない事。そこにある生(なま)の物語がそのままの状態で、つまり弱いものは弱いまま、否定や肯定を通過せず、受容される形で。

ココルームではスタッフと釜ヶ崎の人々や立ち寄った人が対話を重ねます。日雇い労働が唯一の社会との接点である彼らと、それ以外の接点を持つ。そのとても基本的な事を続けられているのがココルームです。媒介となり、社会と釜ヶ崎の人々をつなぎます。距離が狭まるとか、境界が無くなる、と言いたいわけではありません。釜ヶ崎は多くの人にとって現実世界の非現実です。「非現実だ」と断言するのは危険と思われるかもしれません。しかしここ数年の法整備、潔癖な環境づくりの動きを見ていると、非現実になってしまっているのではないか、という気がします。だから、現実として見える聞こえる知ることができる環境を作っている活動は「作品」であり、少なくとも私に対しては、機能していました。

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