『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』を見てきました。

女装の私が、『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』を見てきました。18日までという事で、会社有休を取りまして向かいました。日の出町へ。こういう時に限ってカメラを忘れる。一日に用事を詰め込みすぎるとこういう事に…。


チケットがあれば会期中何度でも入館できるそうです。私は1223人目。


入り口。淺井裕介さん、八木貴史さん、志村信裕さんの《Goldfish》がお出迎え。玄関に投影された金魚の映像。水槽に飛び込むような気分で玄関を開けると、珈琲の匂い。L PACKさんの喫茶店《L CAMP》も18日まで。八木貴史《愚者の手》は扉の取っ手になっていました。色鉛筆を集積し造形された作品は、なぜだか時間そのものを集積したかのよう。そういえば子どもの頃、色鉛筆が短くなるのを寂しく感じたのを思い出します。


1階の作品は撮影していませんでした。何でだ。まあいい。八木貴史さんの作品を楽しみに浴室へ。先に目に入った志村信裕さんの《lace》に見とれ、何気なく握ったそれが八木貴史さん《デクノボウ》という作品でした。八木さんの作品は生きているようにも見えます。細胞が分裂しようとしているその瞬間を捉えたような。

森田浩彰+大久保ありさんの《ワンダーフォゲルクラブに入会するための良い答え、もしくは、4千円を手に入れるためのまあまあの答え》は作品を見て小説を読みまた作品を見るという流れでニヤニヤ。

階段を上り二階へ。


天窓が綺麗。Yu-Cheng Ta《adj. Dance》がお出迎え。そのまま進んで武田陽介さんの《コタツ》で一息。あ、淺井裕介さんの作品がいるね。


たぬき。

 

狐?


ところで、ミカンは食べられるらしい。テレビの収録がきていたけれど、仕込みの女の子がムシャムシャと食べていました。美味しそうだった。

SHIMURABROS.の《MMY:Mouse Made in YOKOHAMA》の映像は上から覗き込んで鑑賞します。積み上げられたガラスに断面が映ります。人間…ではない。なんだろう。まさかミッキー◯◯ス?断面で見るとまったくわからない。でも何かのぬいぐるみでアイドルなんだろうという事はわかりましたた。アイドルの断面。

丹羽良徳さん《自分の所有物を街で購入する》は良かった。キオスクで購入した雑誌を持って書店に入りその雑誌をレジに持っていき再度購入するという映像。その他同じコンセプトで作られた作品が2つ、合計3つの映像を鑑賞できます。書店で貨幣は何と交換されたのか。

さて、丹羽さん、京島に住んでいるという話を聞きました。っていうか家の前まで行ったことがあります。丹羽さん今度挨拶にいきますね。不可能性と交換行為を主軸においた作品を展開されている彼を、私は、ルーマニアで社会主義者を胴上げするという作品で知りました。東欧革命を知らない若者と社会主義者を結びつける作品。


これは狩野哲郎さんの作品《自然の設計/Naturplan》。私はこれが一番楽しかった。しばらくずっと眺めて、作品の中を動いて林檎の裏側をのぞいてニヤニヤしてた。竜宮美術館だからこそ楽しめたんだと思います。甘い匂いがなんとも言えない。


この建物に住んでいただろう人間ではない彼ら。本当にいたんだろうか。想像しかできません。ただ視覚嗅覚でその存在を想像する事ができます。

青田真也さんの作品。静かです。緑色の光は、竜宮美術館の色つきガラスを通った日光です。一日中ここで眺めたくなる。スペインのレオンで私が入り浸った大聖堂を思い出しました。


mamoruの《etude no.11 steel hanger》は、可能ならば揺り椅子に座ってゆっくり鑑賞していただきたい作品。あれは座ってよかったのかな。狩野哲郎さんの作品と同じくらいに時間を過ごした部屋でした。


これ、この椅子。ここに座ってゆっくり鑑賞したい。エアコンの風でゆれるハンガーが触れ合う音、音。乾燥した静かな響きと余韻。小さな和音は目を閉じると小さなオーケストラに感じる事ができます。まさにエチュード。銀色の味気ないそれは、私たちに想像の習作を与え練習させ、即興でそれぞれの音楽を奏でます。



作品の写真は以上。以降は竜宮美術館内の写真を数点掲載します。

竜宮美術館、この建物が日の出町にあり続ける意味、存在意義についてアーティストたちは何度も議論してきました。視点はいくつもあり、まちの人、まちに訪れる人、アーティスト、行政、ネットニュースで眺める人、その他の人、色々。

この建物は面白いし、生まれたコミュニティや偶然性や連鎖から引き続き誰かの記憶に残る存在になるでしょう。ともすればバラバラになる人と人を繋げる形の無いメディアになるはずです。



「面白いから潰すなんてひどい!」と短絡的に捉えられない存在だという事がわかりました。まちの再開発とともに消えていく建物。60数年の間に何があったのか、知らない私は言えません。「残すべきだ」と誰が言えましょうか。『RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります』が開催されたのは、長い歴史に幕を下ろすことが決定した竜宮美術館があったから。今日、この展示を経験できた事に感謝し、この建物が無くなる事実を、ただその事実を受け入れようと思います。

竜宮美術館、お疲れ様でした。


しかし、なんだろうこの喪失感。ぽっかり風が通り抜けるようなこの感じ。これを埋めるのは、竜宮美術館について誰かと語りあう時間、竜宮美術館を知る誰かの存在だけなんだろう。