2015/09/22

佐藤史治+原口寛子「明日の予報」を見てきました。 / Denchulab.



平櫛田中邸の佐藤原口の作品を見た。展示する場所で撮影する作品の性質上滞在制作となることがほとんである彼らの作品は今回もその場所ならではとなっていた。「明日の予報」というタイトルのこれらは、クロマキー合成を活用した作品になっており、天気予報の合成を想像させる。彼らの作品の元となる作品もあるらしく、それはボストンの公共放送を使って実験されたらしい。

部屋の真ん中に堂々と置かれたテレビに流される映像。その部屋の隅には小さなディスプレイに流れる映像。彼らの作品は探さなければ見つからないものもある。今回は机の下にあるテレビに気づかず通り過ぎるところだった。無造作(ではないんだけど)に置かれた鏡に写った映像が目に入り気づくことができた。



映像はその場所にある物と佐藤原口の動作をクロマキー合成で重ねあわせたものになっている。物の一部が合成用の幕になっているのだろう。例えば靴下の上に別の映像が重ねられているが、歩いている靴下の上に(向こうに)また別の歩いている靴下が見えるという様子だ。

仏像の手の形をした彫刻と共に置かれた映像では、それと同じ形をしている佐藤原口の手に塗料が塗られるとそれに重ねられた(向こうの)映像が見えるが、それは置かれている彫刻そのものである。同じ部屋には顔に塗料を塗る映像が流されていて、それは原口の顔に塗料を塗るとその向こうに佐藤の顔があり、佐藤の顔に塗料を塗ると平櫛田中の作品である仏像の顔があり、さらに仏像に塗料を塗ると原口の顔がある、という循環がなされている。


ただクロマキー合成をしている映像というのでは面白くない。彼らは撮影時に周辺の音や映像の紛れ込みをそのまま記録している。それは夏祭りの風景や声かもしれない。車が通る音。足音。鳥の声。子どもの賑やかな声。ラジオ。風が木を通りすぎる音。全てが重ねられている。合成の向こうにある音かもしれないし、合成の元となる映像の音かもしれない。もしかしたら、私が今聞いている音かもしれない。偶然が重なりあい、たぶん、一度として同じ状況で映像を…作品を鑑賞することができない。

佐藤原口の作品はクロマキー合成をした人の動きや思惑で「場所の記憶(というと聞こえがよすぎるかな)」とやらが再演されているように感じる。記録を辿り記憶を想像し再演することでしか私たちは「記憶」とやらを意識することはできない。場所の記憶を感じるのはそれを想像し再演する私たちだ。たどたどしい動きや気持ちの良い繰り返し、揃わない椅子や手や顔、淡々とした食器の整理。場所の記憶というものを想像する時に必ず生じるズレや偶然を作品は示している気がする。


天気予報は過去の莫大な量の情報と現在の情報から導き出された確率を予め報じている。アナウンサーの動きに重ねられている天気図は未来の予報であり同時に過去の情報の蓄積でもある。そしてその今と過去の情報(天気予報)を見ている私たちは、その日の気分(高い確率を信用するか疑うか)でこれからの動きを決める。それは全て偶然に起こる奇跡的な現在である。

そんなことを思いながら佐藤原口の作品を見ていたら、平櫛田中邸の抱える歴史とやらを重荷に感じることなく軽やかに外へ出ることができた。

佐藤史治+原口寛子
http://satouharaguchi.tumblr.com/
平櫛田中邸
http://taireki.com/hirakushi/
Denchulab.
https://www.facebook.com/events/467611000080105/

[会期]2015 年9 月20 日( 日)~27 日 ( 日)
開場時間/ 11 時~19 時  ※9 月20 日( 日) のみ11 時~17 時
[会場]旧平櫛田中邸(東京都台東区上野桜木2-20-3)
[料金]500 円※建物の保全活用金として
[参加作家]アートとサイエンスのあいだ実行委員会、佐藤史浩+原口寛子、春木聡、古澤龍
[公募審査員]白石正美(SCAI THE BATHHOUSE)、熊倉純子(東京芸術大学音楽環境創造科教授)、椎原晶子(でんちゅうず・たいとう歴史都市研究会)
[主催]NPO たいとう歴史都市研究会、一般社団法人谷中のおかって、でんちゅうず
[特別協賛]アサヒビール株式会社
[助成]アサヒグループ芸術文化財団
[協力]井原市、平櫛弘子氏、東桜木町会、東京芸術大学大学院保存修復建造物研究室
アサヒ・アート・フェスティバル 2015 参加企画