Athens Conservatoire (Odeion)、複数の作品 | documenta 14 Athens

5年に1度の国際芸術祭ドクメンタのアテネ会場を見てきました。いくつか作品を紹介します。40近くあるvenueのうち4つほどの会場は「メイン会場」とされていて、それぞれに複数(かなりのボリューム)作品が展示されています。そのメインの一つOdeionの作品たちをご紹介します。

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documenta 14
Athens

Venue Number [1]
Athens Conservatoire (Odeion)
http://www.documenta14.de/en/venues/868/athens-conservatoire-odeion-
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アポロンとディオニソスを敬愛するアテネ音楽学校の施設、オデイオンでは、なるほど音をモチーフとした作品がいくつか見ることができました。その他では、教育や記録といったテーマの作品が展示されています。

もともと Ioannis Despotopoulosという建築家の壮大な都市計画の一部として建てられたオデイオン。彼は国立劇場や国会議事堂、美術館や図書館、オープンエアーの劇場などが隣接したアテネの中心をイメージしていました。どういう理由からか、その計画は実現することはありませんでしたので、現在ではオデイオンを訪れてその夢を感じる程度しかできません。

会場は無料。受付でマップを購入することができます。地下に降りていく構造が2つあり、その途中にある庭部分でも作品が展示されています。





顔に顔がプロジェクションされ、その顔が手によって歪んでいく、ようなモチーフが繰り返される独特な映像作品。音響設備がよいためか映像の異様さが際立っていました。




コレオグラファーとしても知られている(らしい)Kettly Noëlの作品。パフォーマンスもあったそうですが、日程が合わず見ることができませんでした。悔しい。







彼の作品はOdeion内のいたるところにありました。メキシコシティ生まれのGalindoはドクメンタで、北米とメキシコの国境を越える人々のための楽譜や楽器をつくりました。



メソアメリカ(Mesoamerica)において楽器は世界を旅する者たちのお守りとして理解されています。Galindoが、国境付近で拾ってきた様々な「もの」を組み合わせてつくる楽器は、世界ではなく国境を旅する者たちのためのお守りです。

彼はこの楽器をつくるとき、完璧な旋律や美しい楽曲が奏でられることを目的としていないそうです。奏でる人の本当の声が聞こえてくるような、自分の本当の声で歌えるような楽器を目指して作られた楽器や楽譜が、アテネ音楽学校の施設の中に点在していました。




コロンビア・ボゴタ出身の作家によるカーテンの作品。キャンバスをカーテンに見立てて展示している絵画です。ポップアートとして受け取られるような作品ですが、彼女はアメリカで興ったポップアートとは違って、開発途上の国々(いわゆる第三世界)に一方的に輸出される(劣化した)消費社会のイメージや記号を表現しているとか。

埃にまみれて日焼けした雑誌の表紙のような絵ですよね。確かに。






André du Colombier




1979年にIannis Xenakis、Giannis G. Papaioannou、Stephanos Vassiliadisによってアテネに設立された現代音楽研究センター(KSYME-CMRC)によるプロジェクト展示。

1971年にロンドンのエレクトロニック・ミュージック・スタジオ(Electronic Music Studios)によって限定版で製作された、珍しいアナログ・シンセサイザーであるKSYME-CMRCのEMS Synthi 100が復元され展示されています。

古い電子機器を文化遺産として見たときに何が学べるのか、について問いかける作品ではあったのですが、私が見たときは調整中で触ることができませんでした(汗




1929年から現在までの金融危機に関する資料をベースに作られた楽曲にのせて、資本主義が裏目に出た様々な歴史をテキストに起こした物語が歌われている空間に…ご覧の通りストックマーケットの表示が流れるという作品です。

作家のOgbohはナイジェリア出身の作家です。私的/公的/集団的な記憶や記録が、どのように音に変換されて変質され転写され刻まれていくのかについて彼は模索しています。

最初この作品を見たときはストックマーケットに流れている数字や文字を、荘厳な音楽にのせて読み上げている作品なのかなと楽しく鑑賞していたのですが。まず歌詞が違うと教わり、その後音楽を聴いているとまるで葬送曲のようにも聞こえ…なんとも言えない恐ろしい気持ちになったのを覚えています。





上の写真はパノラマ撮影をしたものです。撮影した地点はこの作品のある中庭のちょうど真ん中あたり。

アーティストのJoar Nangoは私と同い年。ノルウェーのTromsø(トロムソ)地方に住む彼は、トナカイと住む北方民族特有のサミ建築を実践できる数少ない人だとか。世界各地の先住民族が使う材料を用いて作られたこの舞台は持ち運びが可能になっています。予測不能な厳しい気候、乏しい資源の中で培われた即興建築の技術を用いてつくられた舞台で行われるパフォーマンスのテーマは国境のない状態の再考です。





ドローイングとリズムの間を行き来するような展示の構成になっています。テキストを読むと7拍子の構造を持つルパク(rupak)と呼ばれるヒンダスタン(Hindustani)の古典的なリズムを持っているとか。

リズムを構成する打音と無音の間に何かをはさもうとしているような、必要最低限の情報でなんとかコミュニケーションを取ろうとしているような感覚が伝わってきました。

容易に異文化交流が口にできないな、と最近思っていた私にとってこの作品は何かしらの希望を感じさせるものでもありました。ちなみに彼女はパキスタンのラホール生まれ。作品に一貫して用いられる点の表記は、アラビア文字の訓練とインド伝統音楽の経験から作家自身が作り上げたものだそうです。



Odeionの展示空間はこんな感じ。とても広いです。





その場所にある様々なもの(もしくは募集したもの)を白紙の本に挟みこみ、万力で圧縮してアートブックとして販売する作品。このOdeionの他にアテネの考古学博物館でも同じタイプの作品が展示されていました。


最後にOdeionの外観です。縦に長い広大な施設でした。今回ご紹介した以外にもたくさんの作品が展示されています。