EMST—National Museum of Contemporary Art、複数の作品(1) | documenta 14 Athens

5年に1度の国際芸術祭ドクメンタのアテネ会場を見てきました。いくつか作品を紹介します。メイン会場とされる6か所のうち、最も作品の数も質も高いと思われるEMST—National Museum of Contemporary Artをご紹介します。とても多いので数回に分けます。

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documenta 14
Athens

Venue Number [4]
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Lois Weinbergerはオーストリアはチロルにあるご実家(農家)の床板下を掘り起こし、そこに蓄積されていた様々な歴史の層(猫?犬?の死体とか)を展示しています。数世紀にわたる農村生活が生み出した無秩序な遺跡から掘り起こされたあれこれが「考古学」と銘打たれたプロジェクトによって魔法のような精神を帯びています。


農地以外の人為的攪乱が多い土地にこそ「自然」が存在していると考えるLois Weinberger。例えば都市の周辺ぎりぎりのあたり、荒れ地とするか都市とするかのぎりぎりの部分、ここが自然と社会を考えるうえで最も「自然」であると彼は考えます。その最も「自然」な部分であり身近な実家の床下を考古学的に分析したということですね。




1962年に公開された映画『あの家は黒い(خانه سیاه است Khāne siyāh ast)』が展示されていました。これが過去日本でも上映されたことのあるドキュメンタリー映画だということを知ったのは帰国後。最も印象に残っている映像作品です。

石油が発掘され、経済や社会や覇権が王権や宗教の間で激しく揺れ動くイラン。その変化の過渡期に見えない存在として隔離、強制収容されていたハンセン病患者のコロニーを描いたドキュメンタリー映画。詩人であるファッロフザードがハンセン病患者援助協会の依頼を受けて、取材、作成しました。

イスラム教がありとあらゆる前提になっている時代に、親密な二人の閤に交わされる愛と性の物語「罪」を発表するなど、イラン社会において明らかな「他者」であり変化を代表していたファッロフザード。彼女の患者に対する視線は、慈愛や救済に満ちたものではなく、同じ「他者」として「関わり方を自省的に見つめ」ています。

この映像はプロパガンダを目的とするような激しさは一切ありません。こちらの感情をこれみよがしに揺さぶるような残酷さや奇異さは皆無です。ご飯を食べる。神に祈る。庭で遊ぶ。教室で会話する。髪をとく。鏡を見る(彼女の視線はカメラを回すファッロフザードを見つめている)。歩く。ただただ彼らの毎日が描写されるだけなのです。

しかし、そこに排除や抑圧が感じられます。彼らしか存在していない映像に「優生政策に基づく強制的な隔離収容のイデオロギー」を、科学的な治療ではなくただただ祈りによって救いを求める映像から厳格な宗教的な「規律のシステム」による抑圧を。今思えばそれは、ファッロフザードが当時のイラン社会で感じていた抑圧だったのかもしれません。

イランの現在は、どちらに向いているんでしょう、向かっているんでしょう。

※下記に久我和巳さんによる論文リンクを掲載します。「あの家は黒い」やファッロフザード、当時のイラン社会について参考にさせていただきました。

イラン映画の女たち : フォルーグ・ファッロフザードの場合
http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/handle/10270/872



暴力や、歴史に抑圧された女性や、言語の限界や限界の無さを明らかにするような「儀式」を目的とするTracey Roseの作品。ということなんですが、柱の一つを赤くする作品。これはどう読めばいいのか。完全なるホワイトキューブであるEMSTの部屋に一つ、赤い柱がある。それも既存の柱を赤くしているっていう作品。




「Sheets of A4 paper or paper document, desktop」や「Plastic ruler, sunlight, desktop」と作品説明に書かれているように、この作品は自然光も素材として扱います。消費者が簡単に手に入る道具、単純な行為の繰り返しを用いて、展示されている場所/施設(ひるがえって権威とか)の構造について様々な見方を与える作品です。

私がEMSTで展示を見たのは日差しがまだまだ柔らかい午前中だったので、紙も机も定規も太陽光も、写真のようにいい感じでした。人が多かったり日差しが強い時間帯だと、また違った作品になっていたと思います。




できるだけ多くの色をキャンパスにのせようとしたという作品につけられたタイトルを見てハテナ。タイトルは「叙事詩的な歴史認識と進化する感覚の哲学を語」ります。歴史上の事実とされる様々な情報は、その時々の感覚、つまり主観によって判断が異なります。Whitneyの作品をメディアとして、そのズレのようなものを感じることができるのかもしれません。




サーミ人のアーティストグループのうちSynnøve Persenの作品。青と黄と赤でつくられた旗は、オスロにあるノルウェー議会前で行われた水力発電所ダムに対するハンガーストライキに使用されました。今回の展示では旗、そしてこの旗が想起させる様々なイメージを絵画として展示しています。


その他、Britta Marakatt-Labba,やKeviselie/Hans Ragnar Mathisenというアーティストが同じスペースに展示されています。彼らはSámi Artist Groupとしてdocumenta 14で展示を行っており、その名前の通り全員が美術教育を受けアーティストとして活動しているサーミ人です。(そういえば、OdeionにもJoar Nangというサーミ建築を中心としたインスタレーションを行っている作家がいました。彼もサーミ人でしょう、おそらく。)

サーミ人のことを調べると辺境の民族に対する植民地支配の歴史を知ることができます。もともと1つの民族として生活していた彼らに対して課せられた、特殊な税法によって5つのライフスタイルに分けられてしまう時期がありました。ノイアデというシャーマンを媒介にした精霊信仰に対するキリスト教の支配を経験した時期もあります。現在では、Sámi Artist Groupに代表されるように、民族意識の高まりが音楽や美術といった様々な分野での発表につながっているようです。

19世紀以前の北欧におけるサーミ人の過酷な状況、そして現在における彼らの(今回のdocumenta14参加のような)活動は興味深いです。とくにヨイク。CDを買いたくなりました。

さて日本における少数民族はどうなんでしょう。