EMST—National Museum of Contemporary Art、複数の作品(3) | documenta 14 Athens

5年に1度の国際芸術祭ドクメンタのアテネ会場を見てきました。いくつか作品を紹介します。メイン会場とされる6か所のうち、最も作品の数も質も高いと思われるEMST—National Museum of Contemporary Artをご紹介します。とても多いので数回に分けます。

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documenta 14
Athens

Venue Number [4]
EMST—National Museum of Contemporary Art
http://www.documenta14.de/en/venues/14860/emst-national-museum-of-contemporary-art
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Olu Oguibe
Biafra Time Capsule (2017)


ビアフラ戦争を取り扱った様々なメディアのアーカイブ展示。ビアフラの国旗を構成する色の壁に取り囲まれた空間に入って、ケースに閉じ込められた資料を見るものです。私はビアフラについて調べるまでどのような事件が起こったのか知りませんでした。1960年といえばもう60年近く経ちます。貧富の差や教育の差、宗教の違いや民族の違いから起こった悲劇だと聞きました。今、なぜこのタイミングでアテネでドクメンタで、という疑問は消えませんが、アフリカの民族紛争もまた、アテネから何かを学ばなければならないということでしょうか。


Cecilia Vicuña
Quipu Womb (The Story of the Red Thread, Athens) (2017)


高い天井から赤く染め上げられた羊毛がぶら下がっている作品です。縄に結び目をつけて数を記述するインカ帝国のキープで詩を叙述するアーティストは、この大きな作品を通じて彼女のルーツであるアンデスの女神と古代ギリシャの海洋神話を結びつけようとします。

染められた真紅は、結び付けようとしている両宗教の伝統に敬意を表し、さらに臍帯をイメージさせているだろうなと思います。なかなか。


Khvay Samnang
Preah Kunlong (The way of the spirit, 2017)


草木を用いてつくられた動物のような形をした面が、カンボジアプノンペンで活動する作家Khvayの作品です。彼はカンボジア国内にある熱帯雨林に入り、Chong族のコミュニティに入りこみました。彼らと1年間、時間を過ごすことで様々なことを学びます。日々の出来事や霊的な信仰はもちろん、政治的な関心ごとも共有していきます。そして、一緒にプロジェクトをしているコレオグラファーのNget RadyとChong族と共に特定の生き物や水や土といった環境との関係を表現し、今回の作品につなげ(吹き込んだ?)ました。

パフォーマンスや映像を見ることができなかったのですが、コレオグラファーと共に、ということですからChong族と共に表現する際に用いたのは身体です。この身体から身体へ知識が蓄積され拡散していく過程というのは、Chong族にとって固有のやり方でありさらにこの土地に生きるものたちにとって最大の抵抗だと言います。

彼らがつなげていった知識というのは、熱帯雨林の地図のようなものだそうです。西洋の(植民地支配をする国々)考える領域は、距離や緯度経度などを用いた軍事的理由に基づくものがほとんどでしょう。でもそれはこの自然に存在する領域区分とは全く異なるものです。こうした領域の感覚は、身体や発話を通じて受け継がれていくもの。この受け継がれていくものを残し続ける行為こそが、Chong族にとっての抵抗となりうるわけです。

エクアドルの熱帯雨林に生きる民族が、その森を伐採し原油をとろうとする資本から森を守るために訴訟を起こし、森に対して人格権(のようなもの)を認めさせて勝訴した事例を思い出しました。


Vija Celmins



ラトヴィアの作家のペインティング。星空や森の中の火事のように、見えているものと実際の距離や限界の間にギャップのあるような作品が展示されています。星を描くということは距離や空間の限界を描くということにもつながるのかな


Danai Anesiadou
ANONEROUSANUS: SOFT DISCLOSURE (2015–17)


アーティストの身の回りのものを真空パックして展示しています。それは作家自身の人生であり発露である、ということらしい。そして彼女は彼女自身が作品であるとパフォーマンスしている作家だそうです。


Hans Eijkelboom
The Street & Modern Life, Birmingham, U.K. (2014)



いわゆるストリートフォトのスライドムービーですが中毒的な面白さがあります。恐らく同じショッピングストリートで撮影したのでしょう。背景にうつる飲食店などはほぼ同じだった気がします。スクリーンを上下に分け、最大で約8枚のストリートフォトが右から左に流れていきます。

写真は「form」つまり形式によって分類されています。例えばボーダーの服を着ている人の写真が延々と続きます。終わりに差しかかると、しりとりのように、例えば最後のボーダーの人が携帯を見ている女性であれば、次に流れる写真の形式の集合は全て携帯電話を見ている人になります。動物柄、チェックシャツ、ネイル、化粧、カップル、様々なformで分類された大量の個人が、ただただ流れていく映像。とてもモダンでした。


Ashley Hans Scheirl


トランスジェンダーであるScheirl氏の作品群。もともと映像作品を発表していた彼女はオーストリアにおける現代美術に貢献したとされています。そして映像から絵画に表現形態が変化していくのと彼女が彼に身体的に変化していくのは時を同じくしていました。

今回の作品発表においてHansはAshleyというどちらの性別にも使える名前を使って作品を発表しています。そうすることで、「彼女」と呼ぶことのできる自身の性自認を解放した、とコンセプト文には書かれています。

原文にはEmancipate fromという表現が使われています。これは「禁煙」など、何かを絶つときにも使われます。つまり今回の展示はScheirlにとって「彼女」としての性自認を絶つとも言えるのですが…

絶つのではなく、彼女や彼という固定的な性自認から解放された、と私は思いたいです。作品もまた、何か固定されたイメージを許さないペインティングだったと私は思います。


Ahlam Shibli
Al Khalil, Palestine (2016–17)



報道のシステムの外側で、パレスチナの写真を撮り続けている作家の32枚の写真作品。フェイクニュースは勝者によるものだけではない、という悲哀を持ったテキストが印象的です。

家の中や外、生活の中や外、人や風景を撮影している写真。共感ともとれる距離感の作品もあれば、冷たく切り捨てるかのような記録の作品もあります。


Alina Szapocznikow
Souvenir (1970)など
http://www.documenta14.de/en/artists/16238/alina-szapocznikow


第2次世界大戦中、強制収容所にいたこともある作家の作品。Souvenirと題された作品はたばこの吸い殻がレジンで固められ、人の裏側を敷き詰めます。


その他作家名をメモし忘れましたがエスカレーター部に設置されている作品。