2011/04/09

大駱駝艦天賦典式『灰の人』に救われた。



大駱駝艦について書くと緊張して指が遅くなる。震災後すぐのあの日を思い出す。世田谷パブリックシアターで麿赤兒氏の声が聞こえてきた。(※内容を文章末に抜粋)麿氏の舞台は2度目。どこか懐かしく、涙が溢れてきた。暗転。舞踏がはじまる。混沌と戸惑いで流れが一定でない空気の中を漂う灰のように、麿氏が舞う。私は始終泣いていた。3月11日の午後から、緊張して硬いコンクリートのようだった私の心が粉々になり、灰の粒になり、舞台を飛ぶ。燃え上がる舞台を前に、やっとのことで血が熱を持って体を巡っているような、つまり、生きた心地がした。申し訳ないがレビューは書けない。搾り出てくるのは感謝しかない。冷静に説明できないのだ。それほどまで地震は人の心を固めていたらしい。





大駱駝艦「灰の人」は、確かに私の心を救済した。








(公演前の麿赤兒氏の言葉)


「ニュース映像の中で、冷厳・無惨(むざん)な荒野で一人の男がつぶやいていた。『なるようにしかならん』と。絶望で憔悴(しょうすい)した男の奥深くに、既に生命の種火が燃え始めているのを見た。私どもは、多くの犠牲となった人々への鎮魂の念を込めて、ただひたすら踊るのみであります」


2011年3月30日asahi.comより抜粋








※レビューを書くライターとして、この短文、そして舞台について触れていない文章は悩みました。ただ、「灰の人」を観ていなかったとしたら、今、私はどうなっていたか。想像するだけで恐ろしい。救済へこたえる形で、とにかく、文章を書かせていただきました。





2011/04/02

blacksheepのライブでした。3/8(火)新宿PIT INN



SFについて考える事が多くなりました。blacksheepというトリオのライブを、新宿PITINNで見てから。DJまほうつかいこと西島大介さんがtwitterでつぶやいていたライブでした。何気なく、スガダイローさんの名前を見て、そういえばヴィヴィアン佐藤さんが何度かブログで触れていたなあというくらい。そんな無知極まりない状態で聞いた私は強烈にSFを意識するに至りました。





渋さ知らズなどで活動されるバリトンサックス吉田隆一さん、トロンボーン後藤篤さん、ピアノスガダイローさん。ドラムレス。荒れ狂う風のような音が静かに染みこんでくる感覚は、小説や映画に引きこまれていく感覚に近い。”すくわれる”よりも”取り込まれる”に近い感覚。今まで意識していた現実と非現実/確かさと不確かさが(もちろん、お酒のせいもあるけれど)無意味になる。





とにかく気持ちがいいのです。





2枚目のアルバムのレコ発ライブでした。ジャケットは西島大介さんの絵。収録曲のタイトルの中に2009年に亡くなられたSF作家J.Gバラード氏、栗本薫氏の作品タイトルがありました。『時の声』『滅びの風』この2つを選ばれた理由は「共に私にとって「SFとはなにか?」さらに「フィクションとはなにか?」を考える上で非常に重要な作品」だから。吉田隆一さんはblacksheepのブログで書かれています。





このブログを、私は3/11以降に書きました。吉田隆一さんが言う「SFとはなにか?」をもやりもやりと頭の上に浮かべて日々過ごしていた矢先の被災です。バリトンサックスを響かせていた吉田隆一さんの考えるSFの「定義」は、震災後、とても不思議な意味を与えてくれています。





「あなたの生が無価値で無意味であることを受け入れた上でなお誇りを持って生きよ」





あの日を思い返せば「対峙」に近いライブでした。音楽について書けていませんね。すいません。音楽を聞きにいった、楽しんだ、という感覚が無いんです。生き様を見た。blacksheepと話し込んだ。対峙した。そんな感覚に近い。酒でも飲まなきゃやってらんない。あ、これがジャズなのかい?