2011/08/17

堂島リバービエンナーレを見てきました。【2】杉本博司 永山祐子/チームラボ 柿原照弘/新津保健秀+渋谷慶一郎 浅子佳英


「堂島リバービエンナーレを見てきました。」

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【1】青山悟/アニッシュ・カプーア/森万里子 隅研吾
【2】杉本博司 永山祐子/チームラボ 柿原照弘/新津保健秀+渋谷慶一郎 浅子佳英
【3】安部典子/磯崎新/大庭大介
【4】池田剛介 原口啓+三木慶悟/藤村龍至/石井七歩



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杉本博司 永山祐子「NO LINE ON THE HORIZON」:画面に映しだされているのは海を眺めているかのような大きな水平線でした。ゆるやかな弧を描いたディスプレイの両端にマジックミラーが設置されています。限られたディスプレイの中にある水平線がどこまでも続いているかのよう。1秒間に24コマの水平線が映し出されているこの作品は、水平”線”がまるで幻のように見えます。その先にある無限の世界や、またまだ見ぬ大陸を想像させる水平線。前途洋々。さあ未来へ進もう。いやまて、その水平線は本当にあるのか?幻ではないのか?

線や境目はあやふやな状態にくっきりとした輪郭を与えてくれます。固定します。同時に、あやふやを許しません。まるで法律です、国境です、”はい”と”いいえ”の世界です。揺れ動く水平線は3.11以降の今を表しています。規定された線や境目に疑問を投げかけます。不安定なあやふやを認め、さてこれからどんな線を引くのか。(もしかすると線がいらない時代が来るかもしれない)







チームラボ 柿原照弘「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」:会場の2階にこの作品はありました。チームラボさんのサイトに動画が紹介されていました。(これらは堂島リバービエンナーレで展示されていた形式ではありませんが、内容は同じです。)


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私は立った状態で2巡ほど見ていました。他のお客さんは床に座って見ていました。誰も何も言わず、ただただ海面上昇の映像に飲み込まれていました。平面化された奥行きは終わりのない自然、共存しているはずの自然の無限です。折り重なる波の動きに意識を移すと、風の強い日に日本海を眺めた時のような恐ろしさを思い出します。美しい事と恐ろしい事は表裏一体だったなあ、と再認識できる作品です。空間(奥行きの平面化)と時間(100年を数分に圧縮)を切り取り、感覚を表現する技術は素晴らしい。







新津保健秀渋谷慶一郎 浅子佳英ひと目で福島県の映像だとわかりました。黄色に点滅する交差点、信号。少し前まで息づいていた街が、あの日を境に変わっていく灰色のイメージ。放射能という目に見えない恐怖が、なぜか、映像を通じて伝わってくるのです。象徴的な映像でした。その映像には、目立ったアイコン的なモチーフはありません。終わっていない事象はその断片を拾うだけで、全体を私たちに想像させてしまいます。その像が人によって様々な形を取るので始末が悪い。




この作品は、床に置かれたモニターを覗き込むように観賞します。無限ループの映像が流れているモニターの上には、斜めに鏡が設置されています。私は、床に置かれたモニターではなく、映像が反射している鏡を見ていました。斜めの鏡には映像が天地逆転して流れていました。灰色の空は映像の下部分、道路があるはずの場所に横たわり、灰色の道路は雲が広がるはずの空を覆っています。違和感。現実のはずなのに、現実ではない世界。居心地の悪い映像です。




鏡は未来を映しません。正面から覗き込む鏡面は後ろを映します。後ろは過去です。鏡の向こうは過去のメタファーです。鏡に映った映像は3.11より前、過去を映そうとしているのかもしれません。しかし過去には戻れません。もう言ってもいいかもしれませんが、それだけ重大な出来事でした。そもそも3.11は終わっていません。鏡に映った映像(違和感に満ち溢れた現実ではない世界)は、過去に戻ることができない3.11そして福島原発事故の大きさを物語っているかのようです。わかってはいるけど、こうも辛辣に伝えられると、気が滅入ります。直面すべき現実は重すぎる。ただ、私たちはこうした作品を通じて(もちろん日々の時間の中でも実感できますが)前へと進んでいる事進まされている事を確認できるのです。




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アーティストは戦っています。