堂島リバービエンナーレを見てきました。【4:最後】池田剛介 原口啓+三木慶悟/藤村龍至/石井七歩


「堂島リバービエンナーレを見てきました。」

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【1】青山悟/アニッシュ・カプーア/森万里子 隅研吾
【2】杉本博司 永山祐子/チームラボ 柿原照弘/新津保健秀+渋谷慶一郎 浅子佳英
【3】安部典子/磯崎新/大庭大介
【4】池田剛介 原口啓+三木慶悟/藤村龍至/石井七歩



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池田剛介 原口啓+三木慶悟「Exform」:堂島リバーフォーラムを入ってすぐ、人工的なが雨降る長方形の板が展示されています。頭上7mの高さから降る雨は、大きな音を立てて板にぶつかります。微妙な隆起が施されたシナベニヤの板には撥水剤がかけられています。板に落ちた雨は板に染み込むことなく、水滴のまま。あるものはとどまり、あるものは坂を降り、またあるものは水滴同士で手をつなぎ水たまりに変化します。大きな水たまりは、小さな水滴では影響のなかった微妙な隆起にひっぱられて大移動し、水滴を喰らい、分裂し、また別の水たまりと手をつなぎ大きな水たまりになり…大移動は板に開けられた小さな穴に到達するまで続きます。穴につながった管の先にはタンクがあります。そこからポンプでくみ上げられた水は、32本のパイプを通じて7メートルの距離を駆け上がり、そして雨になりまた板をたたきます。

自然の循環を表現すると同時に、大地(板)に産み落とされ環境(隆起)によって動かされ他(の水滴)を喰らい肥大し環境また動かされ分裂して死ぬ(大地と同化する)生態系を表現する作品です。水でしかないはずの板の上の水滴を、じっと眺めていると他人(?)に思えなくなる。なんとも不思議な感覚です。仕方ありません。孤独、孤立、出会いからの移動、喰らい喰らわれる移動、別れ、そしてまた繰り返される出会いと別れ。私たちの生活となんら変わらないんですもの。

なぜ私たちは孤独を感じるのか、なぜ別れが予定された出会いを繰り返すのか、喰らいあうのか、死ぬのか。解決の手がかりになるかのようです。人間の70%を構成する水が、人間を形成する前の状態で見せる動きを通じて。







藤村龍至:福島県双葉郡8万人の住民が埼玉県熊谷市郊外に避難移住する構想、リトルフクシマの都市模型が展示されていました。整然とした灰色の模型。その街並みにポツンと大きなスペースが設置されています。毎年3月11日に全住民8万人が福島に向けて黙祷を捧げる鎮魂の広場だといいます。

この作品は、会場内に、まさにポツンと展示されていました。ミニチュアを見下ろす視点、そこに住まうであろう人々への視点、鎮魂の祭儀に対する痛いほどの現実感。建築家である藤村氏のそれは、ビエンナーレの会場で大きく越境しています。静かにくすむその模型は罠にかかったかのような感覚を私に与えました。







石井七歩「理想宮」「理想島」「理想国家」:圧縮された都市に絡みつく黒い髪の毛が、少女のそれに見える作品です。日本という島国は少女に例えられるとか。擬人化された街(少女が擬街化されて…)は、「安全神話」への問題提起です。少女に対して感じる神性と、家や街や国や大地に対する神性は似ているのかもしれません。執拗に描かれた黒い髪の毛と凝縮された街。家や街という単位ですら、神話となりつつあるのかもしれません。




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今回レビューを書かせていただいた作品以外にも、坂本龍一「エコソフィー」/マーティン・クリード「ライトが点いたり消えたり」「全世界+作品=全世界」/杏橋幹彦「涅槃寂静」/齊藤雄介など大作が展示されていました。21日まで、あと少しの会期ですが、機会があればぜひご覧になってください。さまざまな越境/境の消失を感じていただけるのではないでしょうか。