堂島リバービエンナーレを見てきました。【3】安部典子/磯崎新/大庭大介


「堂島リバービエンナーレを見てきました。」

アーカイブ
【1】青山悟/アニッシュ・カプーア/森万里子 隅研吾
【2】杉本博司 永山祐子/チームラボ 柿原照弘/新津保健秀+渋谷慶一郎 浅子佳英
【3】安部典子/磯崎新/大庭大介
【4】池田剛介 原口啓+三木慶悟/藤村龍至/石井七歩



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安部典子:カッターを使い丁寧にくりぬかれた紙の層で作られた作品です。幾重にも重ねられた紙は、空洞や山や断層を表現します。その繊細な形は、自然の痕跡を切り取ります。層により切り取られた痕跡の時間は空間の中で姿を表します。作品は「切り取った痕跡」の時間軸までも表現します。私たちは「作用する力/内在する力の激しさと繊細さ」を、くりぬかれた一枚一枚の紙を想像することで、体験することができます。

壁一面に掛けられた白い作品からは、石をも穿つ水の力を感じます。堂島リバービエンナーレのテーマでもある「エコソフィー」を唱えたフェリックス・ガタリの本、「3つのエコロジー」をモチーフにした作品は、爆発する文字から、本そのものとガタリ本人の言葉の力を感じる事ができます。3.11以降の新聞が大きな力によりくりぬかれた作品は、もちろん、地震の激しい力を表現するものですが、もう一つ。くりぬかれ自然の痕跡に見立てられた層は、人間の文化や知識や精神が記録された「新聞」です。文化や知識や精神はすでに人間を取り巻く環境、つまり「自然」となっているのではないか。

私たちに「自然」の認識の拡張を求めているかのような作品でした。すでに認識が拡張され、ニュータイプやX-MENやネクストの様な存在が身近にいるのかもしれませんが。







磯崎新「孵化過程(再演)」:1962年に制作された作品の再演です。当時は東京オリンピックに向けて東京そのものが改造中でした。関東大震災、東京大空襲、戦争による崩壊から立ち上がり、力強く都市が形成されていた活力のある当時の作品です。3.11以後、地震や津波や原発事故により都市は大ダメージを受けました。経済や国家システムは麻痺しています。復興の計画は見通しが立ちません。戦後を思い起こさせる今、60年代の活力をもって、解決を模索させる作品でした。

そういえば、ジブリ作品「コクリコ坂から」も同時代の活力を感じさせる映画です。復興は方法論では語れません。抽象的ですが「力」とその力を生み出すことができる環境の再構築(再発見?)が大切なのだと、私は思っています。磯崎氏の作品は釘や針金のつながりが生成を表現します。「コクリコ坂から」もカルチェラタンの面々と女学生達のつながりが奇跡を起こします。

閑話休題。懐古ではなく回顧。メッセージの普遍性。今回の展示の中で考えさせる力が最も強い作品でした。







大庭大介「FOREST #1」:先日、森美術館で開催されたG-tokyo SCAIブースでの作品が印象的でした。今回展示されていた「FOREST #1」は大庭氏の作品で一貫して使われている偏光パールで描かれた森です。

会場上部から投射される木漏れ日のような照明によって、森は輝きます。光が投射された森は水色やピンク色や薄い緑色がきらめき、動き、幻想的な世界を見せてくれます。妖精でもいるんじゃないかとさえ思う。私はこの幻想的な様子が大好きでした。さて、木漏れ日は動きます。光が投射されず影となった部分は、陰鬱な森に姿を変えます。暗い森、折り重なる木々、枝に隠れる陰鬱さ。幻想的な森、自然のユートピアは、光を境に表情を反転させます。2つのイメージの間を行き来する作品。

光の当たり方、見る位置、距離、全ての条件がまったく違うイメージを導き出します。ゆらぎ。明確な線を引くことができない状況に対して、どう付き合っていけばよいのか。まるで人付き合い、コミュニケーションの様ですね。

さて、先述しました通り、光によって揺らぐ境目のない幻想的な色が私は好きです。ただ、移動する照明によって陰鬱な表情が見えてしまうので、どうにかして全面に光が当たった状態にできないものか考えました。結果、作品と私の距離を取ることに。杉本博司氏の作品がある地点から「FOREST #1」を眺めると全面が幻想的な絵となります。小ネタですが、見に行かれた際には試してみてください。