2011/12/30

「ココルーム」に行ってきました。


女装の私が、大阪のドヤ街にあるココルームを訪れました。ココルームは”NPO法人こえとことばとこころの部屋”が主催している施設の一つです。ココルームは西成区に3つの施設を持っており、一つはカフェ「インフォショップ・カフェ ココルーム」。その他、「カマン!メディアセンター」と「えんがわ茶屋 こころぎ」です。「カマン!メディアセンター」ではアサダワタルさん岸井大輔さんが作品制作を行っていました。その記録はこちらから(pdfファイルが開きます)見ていただけます。ご興味のある方はご覧ください。

2011年秋に浅草のアサヒ・アートスクエアで開催されたAAF2011報告会で名刺交換をした植田さんにご挨拶をすべく私はココルームに行きました。


緊張しました。実際。西成区の商店街を歩くというだけで。子どもの頃から、親から、西成区に行ってはいけない、「あーなったらあかんで」と脅しの言葉を投げかけられていましたから、恐ろしい場所だという記憶しかありません。父親は、区は違いますが、路上生活者のサポートをしていました。問題意識を抱えて社会福祉について研究し評価を行なっている(定年を過ぎても)父親を見ているとそこには嫌悪などはなく改善しなければならないという使命感に近いものを感じますが…「自分の子どもはそうなって欲しくない」という強い差別的な意識は伝わりました。また、インターネットを通じて得られる「北斗の拳の世紀末を体現している地域」という情報。恐ろしい写真の数々は、危ない場所である、という単純な印象を与えるのに効果的です。加えて、私は学生時代、西成区の路上でバイク事故を起こした為に西成警察署に呼ばれた経験があります。ドヤ街のど真ん中にある灰色の建物。その周りには、昼間っからお酒を飲み倒れる男たち。西成警察の警察官が感じさせる威圧的な印象。あまりにも非現実的で「もう来たくない」と思わせるのに十分でした。十分だったのですが、追い打ちをかけるような事があったのです…。バイク事故の件で西成警察に行く当日のことです。保護者同伴が必須だった為、母についてきてもらうようお願いしていました。大学在学中だった私は、授業が長引いてしまったので母に電話し先に西成入りをしてもらう事に。待たせてはいけないと急ぎ電車を乗り換えていると電話がなりました。母親からでした。泣きそうな声で「ちょっと早く来て頂戴。怖くて動けないの。」と。母は九州生まれのとても気丈な人で、ちょっとやそっとの事で弱音を吐きませんし怯えません。いつもニコニコとしていて、その笑顔に何度となく救われました。その母親が泣きそうな声で電話をかけてきた。これはただごとではない。私は走りました。指定された喫茶店に向かうと、母親が隅っこの席で、私の顔を見るととても安心した顔で、座っていました。喫茶店は西成警察の目と鼻の先です。だいたい30メートル。そんなたったちょっとの距離も耐えられない程の空気が、西成区には漂っていました。


ココルームに着いて珈琲を飲んでいるあたりから、私のそうした恐怖とか先入観は消えてしまったようです。そこに出入りする数人は、私が昔恐れていた日雇労働者の人たちです。でも、その恐れは一側面を全体に広げたフィクションでした。競艇チャンピョンになったとしきりに自慢してくる小西さん。「明日があるさ」の歌詞をひらがなにして印刷してきたネコさん。お酒を1年も絶っているのぼるさん。近くにいて、話している声を聞いて、ちょっと会話する。

小西さんとは長い時間、会話のようなものを交わしました。目を見て話しました。競艇が好きで2万円勝ったからチャンピオンになって、1月に防衛戦がある話。歌が好きで「明日があるさ」は歌えるけど「愛の讃歌」は難しいから歌えない。競艇の防衛チャンピオンになったら次の目標が無くなるから歌手になることを目標にしようかなという目標の話。三角公園で植田さんが「星を見る会」の告知をしているのを聞いている時、寒いから「焚き火にあたりに行こうか?」と言うと、植田さんの前だからちょっとかっこつけて「大丈夫大丈夫」という強がり(後ろを向いて本当に寒そうな顔をしていたのを、私は知ってる。)な面。

小西さんは障害があって、でもそれをものともしないで生きている。ココルームで距離を縮めて話して初めて私は小西さんが同じ生き物で、アウトプットの方法は違うけど、似たような事で喜んだり悲しんだりするんだという事を知りました

今まで誰も見向きもしなかった人々の物語が、詩人や日常編集者や劇作家が関わり、発表されています。きれいごとではなく、それは「しんどい」とか「金がない」とか「金くれ」とか生々しい声の集積。声にすらならず、形にもならない事。そこにある生(なま)の物語がそのままの状態で、つまり弱いものは弱いまま、否定や肯定を通過せず、受容される形で。

ココルームではスタッフと釜ヶ崎の人々や立ち寄った人が対話を重ねます。日雇い労働が唯一の社会との接点である彼らと、それ以外の接点を持つ。そのとても基本的な事を続けられているのがココルームです。媒介となり、社会と釜ヶ崎の人々をつなぎます。距離が狭まるとか、境界が無くなる、と言いたいわけではありません。釜ヶ崎は多くの人にとって現実世界の非現実です。「非現実だ」と断言するのは危険と思われるかもしれません。しかしここ数年の法整備、潔癖な環境づくりの動きを見ていると、非現実になってしまっているのではないか、という気がします。だから、現実として見える聞こえる知ることができる環境を作っている活動は「作品」であり、少なくとも私に対しては、機能していました。

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2011/12/27

Tokyo Art Research Lab 「世界の現場から Talk & Cast Vol.4 栗山斉」に行ってきました。

女装の私が、3331ArtsChiyodaで開催されたTokyo Art Research Lab 「世界の現場から Talk & Cast栗山斉さんの話を聞いてきました。モデレーターは墨東まち見世2011で(広報で関わっています)、お世話になっている東京アートポイント計画の橋本誠さんです。当日は、栗山さんが参加された国際交流事業「Drifting Images」関連で、Creative  Hub131の加藤恵美子さんが特別ゲストとして登壇されました。同イベントでは、作品の画像をプロジェクターで見せながら、その制作過程における地域との関わり方についてトークが展開されました。
※トークイベントは19時から開催されていました。私は仕事の関係で19時半からの参加となりましたので、全内容はポッドキャスト配信を待とうと思います。

※当レビューは、トークイベントの内容よりも栗山さんの作品とそのコンセプトに重きを置いて書かせていただきます。



作家は作品を通じてコンセプトを伝えます。栗山さんの作品を見る上でキーになるコンセプトは「0=1」。「無」と「存在」が同等であることを実証する作品を作り続けています。




色鮮やかな写真が栗山さんの作品です。花の写真ではありません。ヒューズが焼けきれる瞬間の光を印画紙にとどめた作品です。焼けきれる瞬間、ヒューズは光を生成し死に絶えます。並べると花の様な痕跡は生と死が同等です。

電流を流してスパークさせる方法で瞬間を定着させる作品は、BODAとの交流事業(韓国の学生を対象にワークショップ)でも実施されました。この時媒介として使用されたのは「シャープペンシルの芯」。芯は炭素で構成されており、電球のフィラメントと同等です。高い電圧をかける事でスパークさせた写真は、モノクロながら美しく力強い生と死の瞬間を定着させていました。日本より電圧の高い韓国では、シャープペンシルの芯は「スパーク」ではなく「爆発」になってしまったとか。実際の制作の現場では、地域が違う事による細かい困難を乗り越える事も、重要な体験なのでしょう。今回はBODAの工房にあった変圧器を活用し、難を乗り越えたとか。

さて次の写真。


広い部屋。重々しい三脚に取り付けられたレーザーポインタが壁に赤い点を照射します。三脚には赤道儀が取り付けられており、地球の自転や公転の移動に合わせて赤い点がかすかに動きます。赤道儀は天体写真用の機材です。天体を長時間露光で撮影すると線になります。これは星が自転し公転しているから。この動きを無効化し、星の光を「・」で撮影するために赤道儀は使用されます。この作品のタイトルは「Geostationary Point」。「Geostationary」を辞書で調べると「【形】《地球から見て衛星が》静止した、不動の」とあります。かすかに動く赤い点の先には不動の星が瞬きます。赤い点が動くこの空間では、不動と動が、静と動が同等です。


赤道儀を使った写真作品です。天体写真ではありません。これは、地球上の、静止しているはずの都市の光です。赤道儀にカメラを取り付け、長時間露光で、地球の自転と公転で動く都市を撮影しています。ここでも、静と動が同等です。別府のシリーズと、韓国・ソウルのシリーズがあります。同じ地球上で撮影されたからでしょう。見た目には違いの無い作品です。しかし、定着された静と動は全く別の表情を、見る人によって、与えるかもしれません。


ムラーノ島の廃工場(ガラス工場)に展示されているのが次の写真です。これは蛍光灯を用いています。蛍光灯の内部は真空状態です。空気の無い、死の空間では光が生まれています。下に見えるのは割れた蛍光灯です。真空の蛍光灯が割れる、真空が真空でなくなる事を表現します。宇宙は真空から生まれました。真空が真空でなくなる瞬間にビッグバン(宇宙誕生)のイメージを重ねた作品には、(私個人は、ですが)母性を感じます。展示に関わられた方のご意向により、作品は現在も展示されています。ヴェネツィアに行く機会があれば、ぜひ観賞したい作品です。ちなみに、同作品はヴェネツィアビエンナーレの関連企画として展示されました。もしかするとご覧になられた方もいらっしゃるかもしれませんね。

その他の作品は栗山さんのサイトでご確認いただけます。サイトでは2012年の夏ごろ、名古屋で開催される作品もご覧いただける、かも。たぶん、あの写真はソレのはず。


「0=1」は小学校で勉強した算数では成立しない数式です。1は0ではなく、また、0は1ではありません。しかし0と1を、無と有/相反する2つの要素でありmeceであるという前提に立った上でその完全な全体集合を表現するとどうでしょう。その全体集合を見ると、0と1は同じ全体集合の要素となり「0=1」が成り立ちます。あくまで解釈の話です。この場合、数式は考える材料です。

私は、男性性と女性性を、その境目を内包します。ヨネザワエリカとして、栗山さんの作品と対峙し、その時に感じる事をぜひレビューしたいと強く感じました。ヴェネツィア行きたい!

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※画像は以下のサイトから転載いたしました。

2011/12/23

「サンタガールをさがせ!2011 in SHIBUYA」に参加しました。


女装の私が「サンタガールをさがせ!2011 in SHIBUYA」に偽サンタガールとして参加しました。その報告とレビューです。

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初めに、「芸術/美術に関するレビュー」ブログへ掲載する理由を書かせていただきます。私は墨東まち見世という地域アートプロジェクトの広報をしています。このイベントを渋谷というまちを舞台にしたプロジェクトとして捉えて整理することで、地域アートプロジェクトの参考となるのではないか、という視点で書かせていただきました。事実、かなりの点で参考になるイベントでした。
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サンタガールをさがせ!2011 in SHIBUYA」とは渋谷の街中に隠れた3人のサンタガールを見つけておいかけて専用のiPhone/Androidアプリでスタンプを集めて、プレゼントをもらうというイベントです。渋谷の街に放たれるサンタガールはCoba-U(コバユー @Coba_U )、JulieWataiジュリ・ワタイ @JulieWatai )、Toastie(トースティー @toastiejapan )の3人。彼女達の着る真っ赤な衣装は、山下陽光(@ccttaa)さんのつくるブランド「途中でやめる」です。目立つので、たとえ平日平均35,000人が訪れる渋谷の街中に紛れたとしてもすぐ見つかるんじゃないかとおもいきや、そうはいきません。

本番前ust番組でサンタガール勢ぞろい

偽サンタガール3人(アイビー茜 @ivy_in_the_soup / 私 @ericolor_emiu / 藤堂はな @alicedodo )が紛らわしくも街中に放たれます。そして季節はクリスマスシーズン。FamilyMartの店員さんや、飲食店の呼び込み、飲み会で浮かれた人たちが、みんなサンタの帽子をかぶってニコニコしています。さらにサンタガール(本物)は一箇所にとどまらずにウロウロと動きます。ustreamで配信されている映像から推測しても、専用アプリでおおよその居場所を把握しても(GPSレーダー機能でだいたいわかる!)、追いついたと思ったら時すでに遅し。渋谷の、また違った場所にいる。こんな状況ですから、3人を見つけるのは大変です。2時間半の街中のイベントはあっという間に終了。少なくとも50人弱の参加者が、渋谷の街中を舞台に、ゲームをプレイしていました。

GnG(ゲットアンドゴー)を使ったアプリでサンタガールをゲット

私は、昨年に引き続き、偽サンタガールとして参加。女装ですから偽サンタ偽ガールです。173cmの身長は遠くからでもよく見えるらしく、特に宮下公園の周りでは、何度も声をかけられました。「サンタガールさんですか?」『残念、偽物です!』「くっそ〜!!」「やられた〜〜〜」というやり取りは中々楽しくてですね。なにより、参加者の皆さんの笑顔が素敵だった。勝手な想像ですが、皆さん、プレゼントが欲しくて参加しているようには見えないんです。プレゼントはこのイベントに加担する言い訳なんじゃないかと。「プレゼントが欲しいから熱中してるんだぜ!」っていうのを言い訳に、ちょっとした非日常体験を満喫しているのではないかと感じました。

プレイヤーがなかなか見つけられなかったトースティーさん

地域アートプロジェクトの広報として、このイベントからは多くの事を学びました。街中が普段と違った表情に見える、というのはよく言われる事。もちろん、それを実現するには困難なハードルをいくつも超えたりくぐったりしなければなりません。企画・プロデュースをされたhiniku designさん、53RS企画さん、その他主催のイノラボの皆さんや、協力のクウジットさん、東京ナイロンガールズの青サンタガールの皆さん、ustのMCをされたり衣装を担当された山下陽光さん、その他自転車で撮影に奔走されたカメラマンさんやサンタガールの護衛をされた皆様のご苦労あっての渋谷体験です。(うわー、社会人っぽい!)閑話休題。今回、私は偽サンタガールとして、プレイヤーや企画者とは違った立場、つまり企画参加者という立場でイベントを経験しました。これは、地域アートプロジェクトに置き換えると、イベントに協力していただいた「まちの人」に近い立場を経験することです。

がお!

企画参加者としてイベントに協力をする、これは、様々なルールに従う事でもあります。動きを制限されたり、見た目を指定されたり、ちょっとした仕事を依頼されたり、与えられた役割を遂行します。その対価として、PRになるとか、店舗の場合だと営業の機会が増えるとか、まあその辺りは想像の範囲内。今回体験できたことは、プレイヤーが本気で楽しんでいる事が伝わると、企画参加者まで楽しくなるということ。関わってよかった、という気になることです。「売り手良し」、「買い手良し」、「世間良し」の三方良しになぞらえて言うと「企画者良し」「参加者良し」「プレイヤー良し」を実現するために必要な事は何か、そのヒントをいただけた気がします。

まちなかの偽サンタガール、藤堂はなさん

まちなかの偽サンタガール、アイビー茜さん

今回も、プレイヤーの方から優しい声をかけていただきました。「寒いでしょうけど、偽物さんも、がんばってください!」私はこの言葉を聞けただけでも幸せです。三方全ての皆さまへ、本当にありがとうございました。

※最後に
アフターパーティーは、サンタガール(本物)のライブ。JulieWataiさんは赤いコートを脱ぎ捨てて可愛らしいアイドルに変身し、ファンを巻き込むライブでSUNDAY ISSUEは盛り上げます。次に登場するのは、Toastieさん・・・の姉貴分であるバケットバルドーさん。両手がバケット(フランスパン)のフランス風シンガーが踊り歌い狂い、最後にはSUBWAYのサンドイッチを振舞ってくださいました。そして最後にCoba-U登場。12月7日に発売されたアルバムからの曲を歌ってくれました。ほんとに可愛い。




リリース前だったので歌いはしませんでしたが、Coba-UDrive Japan」応援歌としてCoba-UのDrive Heart」を12月15日に発表。これマイトガイ・小林旭の歌った大ヒット曲「自動車ショー歌」をリメイクしたもの。SUNDAY ISSUEにいたお客の中には「自動車ショー歌」を知っている人がいたらしく、発表の際に「あの歌をリメイクするんだ?!」と驚きの声で盛り上がりました。こういった生の反応を見ることが、最近、とんと少なくなっていたので、よい経験でした。。

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2011/12/22

Anna-Wili HighfieldのPaper Sculptureを紹介します。



女装の私がオーストラリアの作家Anna-Wili Highfildさん(以下Anna-Wili)のPaper Sculptureを紹介します。書いて字のごとく、紙で作られた彫刻です。紙でつくられた立体はいくつもあります。折り紙、紙粘土で作られた彫刻、ダンボールを組み合わせた立体物などなど。Anna-Wiliの作品は、紙であることは一目瞭然であるにも関わらず、私達に何かを語りかけます。


紙の彫刻は、色を縫ったコットンペーパー(木綿繊維を用いた紙)を手でちぎり、木綿の糸で縫い合わせて作られています。肌の弱い赤ん坊に着せる服を縫うかの様に、繊細な”何か”を包むための外側を縫い合わせるかの様に、彼女の作品は繊細な彫刻となります。手でちぎっているからでしょうか。紙は幾何学的ではない有機的な立体を見せています。


紙の彫刻は、物理的に、空気を多く含みます。紙は外側を作ります。しかし中身の無い彫刻です。その空虚さは作品の繊細さによって際立ちます。自己を持たない動物に感じるある種の喪失感(言語コミュニケーションができないという)に似ています。ところがこの紙の彫刻は、愛らしさにも似た人間的な…動物的な印象を私たちに与えます。私は写真でしか見ることができていませんが、こちらを見据えて木にとまる梟の彫刻も、遠くを(たぶん食べ物を)見つめる小鳥の彫刻も、パンダも馬も、色でたとえるならば脈打つ暖色の球の形をした有機物がそこにあるような気がします。動物に対して感じることがある”生きている”という共通点への安心感に似ています。


Anna-Wiliは母親です。娘がいます。紙の彫刻というスタイルは、娘がまだお腹の中にいたある晩遅くにAnna-Wiliに訪れました。その日以来、Anna-Wiliは生まれてくる娘のために作品を作り続けました。木綿繊維のコットンペーパー、木綿の糸、手でちぎられた断面、娘のために作られた作品は、形式そのものに優しさが伴います。


母は娘に生命を伝えています。多数性と同質性。人間ではないという違い、空虚さ、迫る恐ろしさと、動物であるという共通点、愛らしさ、手触り、優しさ。私は母親から笑顔を教わりました。雷のなる恐ろしい夕方も、母親の笑顔は「大したことあれへん」と私に語りかけていたような気がします。思春期の反発から、笑顔を封じ込めた時期もありましたが、今の私は笑顔はかけがえのない宝物です。母から娘(私は一応息子、ですが…)へ語り継がれる作品は、おそらく、見る人それぞれの経験に寄ると思いますが、自分のルーツを思い出させるのかもしれません。


Anna-Wiliが母であり娘のために作られた作品だと知れば、紙の彫刻から受ける印象に納得します。なぜ、娘の為のその作品を、展示したり販売する事になったのかはわかりません。興味のある所ではあります。もしかすると、Anna-Wiliは今は、娘に対して別の何かが必要だと感じているのかもしれませんね。紙の彫刻の時のように、新しい何かが訪れたとか…。


さて、Anna-Wiliの作品はオーストリアはメルボルンのHermes Storeに展示されているそうです。日本にやってきたら、ぜひ見に行きたい作品ですね。


2011/12/21

Christian Marclay「Scrolls」を見てきました。


女装の私がGallery Koyanagiで開催されているChristian Marclay「Scrolls」を見てきました。彼の作品は横浜トリエンナーレのBankartで上映されていた「Clock」(第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞 最優秀作家賞受賞)が有名です。同会場ではヨコトリ関連企画として巻上公一さんとのパフォーマンスイベントもありました。(私は見れなかったのですが…)そのパフォーマンスで使用された「Manga Scroll」が展示されていました。

「Manga Scroll」は英語に翻訳された日本漫画の擬音/オノマトペをつなぎ合わせて作られた20mの絵巻物です。漫画の起源とされる形式の作品は、Gallery Koyanagiではスペースの関係上だと思うのですが、5mほどしか見ることができませんでした。私は、展示の前に立ち、左側から順にオノマトペを追いました。「Booom!!」や「FLIP!」や「PROOF!」というアルファベットが鋭く尖り、また不定形に歪められて躍動し、そして延々と続きます。途切れることなく。上へ下へ躍動し、所々二股に分かれたオノマトペはまた一本の線になる。そしてまだ先が続くであろう巻物の端に吸い込まれていく。物足りない私は右端から左端に戻り、まるでそれが無限に続くと錯覚しているかのように何往復もしていました。私はそのオノマトペの先にある気配に気が付きました。


音は何もないところには発生しません。スプーンが落ちる。風が吹く。タイヤがアスファルトを擦る。ドアノブを手が回す。靴と靴下が離れる。娘が皿を割る。母親が娘を怒鳴る。父親が帰宅する。音は空気の振動で、音は事実を伝える報せで、そこには気配があります。音が個人に伝える気配のイメージは、その個人が生活してきた経験や記憶に基づきますが、「イメージさせる」という作用は共通です。オノマトペは物質化され可視化された音です。


「Manga Scroll」はオノマトペを連続させました。気配は連続します。コラージュされた気配は物語を作ります。私がイメージした気配は走る姿です。私はその姿を追い続けました。気配を追い続ける行為は、どこか麻薬的で、つまりそこには何かあるかもしれないという期待ばかりがそこにあるような。でも、気配はしっかりと残っているから、優しいというか、導いてくれるような、何か。あなたはどんな物語を想像しましたか。何の気配を感じましたか。たぶん、あなたの感じた物語や気配と私が感じたそれに、大きな違いは無い気がします。オノマトペを間違えると漫画の物語はまったく別物になります。間違えさえしなければ、繊細な台詞の一つ一つが訳されていなくても、また文化の違いによるジェスチャーの誤解があったとしても、物語の外殻はあらゆる境目を超えて伝わります。期待を込めて言いますが「Manga Scroll」を鑑賞した人と、言葉が通じなくても共通の何かを通じて話す事ができるはず。人と人、国と国、民族と民族の境目を融解し、観賞者を共鳴させる作品でした。


「Manga Scroll」以外にもオノマトペのコラージュ作品は展示されていました。5点ほどの掛け軸です。色鮮やかで、柄も煌びやかな布地をコラージュした掛け軸は、中心にオノマトペをプリント。布地は作家自身が世界中から集めてきたとか。掛け軸に凝縮された物語や気配は、解放すればそれが無限に続くのではないかと思えるほどの質量を感じます。その質量の渦の中心に物質化された音があります。


「Clock」を観ていた時も感じたのですが、Christian Marclayの作品は、音と人間の距離感が繊細で優しい。シンプルでわかりやすい。伝わりやすい。「Clock」の制作過程で数千もの映画を作家とスタッフは観たといいますから、その編集作業の恐ろしさを想像すると、身震いします。

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Christian Marclay HP
Gallery Koyanagi HP
※画像は以下のサイトから転載いたしました。
http://whitney.org/
http://london-art.net/a-sense-of-time

2011/12/20

「なくしてもいいもの。なくしやすいもの。なくしてまたみつけるもの。」渋谷友香理 個展を見てきました。

女装の私が、曳舟駅から徒歩10分ほどにあるSOURCE Factoryで行われていた、墨東まち見世2011ネットワークプロジェクトの参加企画である〈SOURCE .sight exhibition vol.8:「なくしてもいいもの。なくしやすいもの。なくしてまたみつけるもの。」渋谷友香理 個展〉を見てきました。作品は、展示を見て、展示物を持ち帰り、それを「なくす」までの一連の体験です。



展示物は3点ありました。1つ目はSOURCE Factoryの入り口を入ってすぐに展示されていた小さな「輪」。2つ目は入口の展示スペースと奥の瓦礫の部屋をつなぐ廊下にあった「縮れ毛」。3つ目は瓦礫の部屋の前に展示されていた「お土産」。渋谷さんの展示を見たのは2回目(卒展を含めると3回目)です。シンプルな素材、シンプルな作り。展示を通じて観賞者に「うまく説明できないのに確かに覚えのある感じ」を思い出させてくれます。


「輪」は木でできた低い棚に置かれていました。ぼんやりとした照明の中、かがんで確認し、手に取る事ができます。馬の尻尾の毛を結んで作られた輪と和紙の輪の2種類ありました。どちらも細く、繊細。人の身体性から遠く離れた素材を選ばれたとか。持ち帰ることができたので、私は馬の尻尾の毛の「輪」を右の親指にはめて持ち帰りました。渋谷さん曰く「ものをなくすことで、忘れられない記憶を意図的になくそうとする」作品。私は何を忘れようとして「輪」を持ち帰ろうとしたのか、今となっては何も覚えていません。家に帰る途中で私は「輪」をなくしました。記憶から何が消えたのかわかりません。些細な事を忘れたのか、重い記憶を消そうとして成功したのか。何一つ覚えていません。しかし、何かを忘れようとして、この作品に加担したことは覚えています。ぼんやりとしていますが、ただ、鋭い感覚を残す作品でした。


長くなりました。2つめ。「縮れ毛」。ええ、掃除しても掃除しても部屋のどこかにあるアレです。見つけるとうんざりがっかりし、ちょっと恥ずかしい気持ちになる、強烈に身体的なアレです。SOURCE Factoryの廊下に散らばっていた「縮れ毛」は「これです」と言われて初めて展示だと気づきました。素材は身体から遠く離れた人工的な素材、真鍮です。真鍮の糸を叩いたり捩じったり電子レンジで熱したり、さんざんに痛めつけて縮れさせた物でした。無くそうと掃除を繰り返しても気が付くとまたそこにある縮れ毛を思い出させます。


3つ目の「お土産」は、天井が崩落した瓦礫をそのままの状態で残してある和室の前に、展示されていました。瓦礫が放置されている何らかの「意味」を可視化した作品は「お土産」を模していました。持ち帰る事ができます。一個500円です。和紙を折って作られた、上品で、願掛けをしているかのような袋に入れられていました。瓦礫と同じ色、形をした「お土産」は入浴剤です。使用すると泡となり溶けて私たちの体を包みます。さて、「意味」はなんだったのかわかりません。「お土産」は溶けてなくなりました。500円の価値がある「意味」だったのかどうか。和紙にくるまれるほどの「意味」だったのかどうか。溶けて疲れを癒す「意味」があったのかどうか。


意図的に無くすことも、意図的に無くそうとしないことも、つい無くしてしまうことも、無くそうとしても無くならない事も、「物」だけを見ていたら些細なことです。極端に言ってしまえば「ゴミ」で片付けられてしまいます。ただ、そこに人が介在するだけで、途端におまじないのような神性を帯びる。渋谷さんの展示は、身体から遠い素材の中に人が介在する強い感覚を与えてくれます。素材と感覚の距離の遠さは、そこにある飛躍を際立たせます。その飛躍は鑑賞者個人の経験や感覚に同化します。つまりとてもローカルな感覚として刻まれます。感覚の詳細を伝えることは困難ですが飛躍を生み出す距離は(素材と感覚の)、写真や文章からも伝わるはずです。(そうであって欲しい…体験こそが全てだ、と逃げてしまうと書いている意味が無くなるから…。)このローカルな感覚を忘れたくない(たぶん、忘れるだろう、それくらい些細で日常的な感覚だから)と思わせる展示でした。

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■墨東まち見世2011:ウェブサイトtwitterfacebookGoogle+ Page
※写真は墨東まち見世2011のGoogle+Pageより転載いたしました。

2011/12/19

青山裕企 写真展『schoolgirl complex BEST 2006-2011』を見にいきました。


女装の私が中野ブロードウェイの2階奥にあるpixiv Zingaroで開催されていた青山裕企さんの個展を見にいきました。青山さんの写真を初めて見たのは、お世話になっているブックデザイナーの方から譲っていただいた「絶対領域」という写真集です。絶対領域という言葉はニーハイソック(もしくはハイソックス)とボトムスとの間にある肌色の事を言います。フェティシズム満載の少しこっ恥ずかしい写真集でしたが、佇まいは静かで、どこか上品。昔の自分と向き合っているような気がしました。『schoolgirl complex BEST 2006-2011』は、そんな青山さんが2006年から撮影をスタートした“記号的な女子高校生”写真シリーズをズラリと見ることができます。いやはや。その写真の佇まいからは想像できない激しさを持った(私にとって、ですが)展示でした。


中野ブロードウェイに行くのは久しぶりでしたが、迷わずpixiv Zingaroに辿りつけました。壁には2006年から青山さんが撮影された作品が、年代やコンセプトごとに区切られ展示されていました。ぐるりと時計回りに歩くと最近の作品までたどることができます。真ん中には、四角く組まれたブロックがあり、その天板に写真作品が敷き詰められていました。全てが女子高生という記号。目が写っていません。肌色と制服と。。。


男子校に通っていた私たちにとって女子高生は遠い存在でした。自転車通学ですれ違うあの子。雨の日に電車の中で見かけるあの子。文化祭シーズン、女子高の文化祭で見かけるあの子あの子あの子あの子を、顔ではなく制服で認識していました。お嬢様の学校。不良の多い学校。先生と寝る子が多い学校。芸能人のいる学校。いまいちな学校。私たちがあの子の話をする時、あの子は頭に校名を付けて呼ばれます。◯◯高校の●●さん。恋人ができた友人はあの子の通う学校を自慢します。制服を脱いだあの子があの子でなくなる日曜日。納得できない違和感を押し殺して、男子校に通う私たちは、あの子を追い求めていました。


作品について書くつもりが、自分の思春期の話をしてしまいましたね。すいません。まだ続けます。すいません。


厳しい学業と、私学に通う事によるご近所との断絶と、思春期の体の変化に伴う戸惑いと、自分の性についての揺らぎ。他人よりも自分を見つめることに忙しい私にとって、身近な他人を考える際、記号を記号のまま捉えて把握することが精一杯でした。そして記号に憧れを抱いて、記号を纏う。私にとって、青山さんの写真の中の少女は私(であって欲しかった私)です。パラレルワールドに迷い込み、いくつもの分岐点を遡ると、それは私であるはずだった姿です。現実の私は、男子校に通う男子。女装をして可愛いと言われる事で自分を確かめていました。記号を纏うことで私は「みんな」になり自分の輪郭が融解し、私はあの子になることができました。それらは妄想でした。


私は戸惑いや妄想やフェティッシュな願望や後ろめたさの対象にすらなれなかった。青山さんの作品は、少女が欠落した女性性を持つ私の様々をえぐります。いやはや。激しい展示でした。


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青山裕企HP
pixiv ZingaroHP
※写真は青山さんのサイトから引用させていただきました。
©Yuki Aoyama. All Rights Reserved.

2011/12/18

泰平「startbahn」展を見てきました。


女装の私が、YUKARI ARTで12月16日、17日の2日間限定で開催された、泰平さんの展示「startbahn」に行きました。この企画を知ったのは、Twitter上でフォローしていたTokyoArtBeatのツイートから。「2日間限定」であること。そして2月から始まる新しいサービスのコンセプト展示であること。それらに私の興味は惹かれました。


学芸大学駅から歩いて5分ほどの場所にあるYUKARI ARTは、入り口に毛糸で文字が描かれた可愛らしい門構え。いしかわかずはるさん(YUKARI ART所属のアーティスト)が制作されたとか。中に入ると、藁が敷き詰められた白い部屋。壁際に大きな長机がひとつ。上には2つのディスプレイ、3つの黒いファイル、1セットの資料と名刺。全てに「startbahn」という文字(ロゴ)が描かれています。周りを見渡すと、泰平さんの経歴の紹介が壁にあり、目を下に移すと藁の中に大きな卵(ダチョウ)が3つ転がっていました。黒いファイルを開くと、それぞれ日本、アメリカ、中国(なので3つの黒ファイル)の特許申請の書類があります。在廊されていた泰平さん曰く「startbahn」の仕組みの根幹部分は特許を申請して保護しているとか。日本の特許は5年前に取得されています。このプロジェクトが5年の構想と実行に基づいて作られていました。


「startbahn」は「現在ならびに未来のアートを担う全てのアート関係者を対象にした『インターネット時代のアート』の為のプラットフォーム」として作られた新しい環境です。端的に言うと「作品が流通しやすくなる仕組み」です。プライマリーオークションを経て、作家は作品をコレクターに売ることができます。セカンダリーオークションを通じて、コレクターはプライマリーで購入した自分のコレクションをまた別のコレクターに販売することができます。セカンダリーで販売された作品価格の一定の割合が作家に還元されます。作品が流通するたびに、作家に対して還元され続けます。転売によって作家に対して支払われる割合は変動します。アーティストの活動状況や作品の評価(レビューなど)に影響されます。例えば作品のためのリサーチ/制作期間により発表が行われない時期と、発表を精力的に行なっている時期など。このプラットフォームはSNSのような形式で、ユーザーは登録の際「アーティスト」アカウント、「コレクター」アカウント、「レビュワー」アカウントの3種類から選択します。「アーティスト」と「コレクター」は上記で説明した様に、作品の売買に直接関わります。では「レビュワー」は何をするのか。作品鑑賞後に、そのレビューを寄稿します。私が作家Aのレビューを執筆し、そのレビューを見たコレクターBがオークションで作品を購入した場合、その価格の数%がレビューを寄稿した私に支払われます。これはセカンダリーの際も同様で、購入の意思決定にレビューが関わる場合、寄稿者に還元される仕組みです。


日本語で滑走路を意味する「startbahn」は、その名の通り、若い作家や若いコレクターや若いレビュワーが飛びたち空を翔るための滑走路です。

このサービスが開始されても、発表から制作から購買から批評から何から何まで全てネットに集約されてギャラリーがいらなくなる、といった極端な状況になるとは、私は思えません。作品発表には場所が必要です。その場所はネットだけでなくギャラリーやオルタナティブスペースや公共空間など様々。そしてコレクターは作品の観賞を経て購入します。ネットの低解像度の写真を見るだけで意思決定をするとは到底思えません。技術が発展し、インターネットを通じて極めてリアルに近い体験をするようになったとしても(その体験がスタンダードとなったとしても)、鑑賞者が作品購入の意思決定をしたのであればそれは作品が獲得した事実であって「ネットだから」という言い方はされないでしょう。レビューも然りです。「startbahn」はツールでありプラットフォームです。そこは「世界」ではなく、実際の流通を円滑にする、そして加速させる「ツール」です。評価や作品の動きが可視化されるためにシビアな状況が浮き彫りにされる事があるかもしれませんが、それはただ可視化されただけであって、今も大して変わりません。たぶん。

泰平さんにお話が聞けて、なんだかワクワクしました。2日間限定の展示ではありましたが、これから「アート業界の活性化はもちろん、アートが今後も長く機能し続けるために、国内外に現存するさまざまな問題を解決し、さらに新たな『インターネットの時代のアート』のパラダイムを創造、牽引すべく、その基盤となる環境」のリリースが本当に楽しみです。時間はかかるかもしれませんが、この「startbahn」プロジェクトにより、何かが大きくはばたく気がしてなりません。

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泰平タンブラー
YUKARI ART HP
※写真はYUKARI ART、泰平タンブラーから転載させていただきました。
YUKARI ART SINCE 2006-

2011/12/16

墨東まち見世2011を見ていました。

墨東まち見世2011という地域アートプロジェクトの広報を、私ヨネザワエリカはしています。実施された企画の報告をいくつか書かせていただきました。以下にリンクを記載しておりますのでご覧ください。

※全ての企画の報告ができておりません。


【墨東まち見世とは?】
墨東エリアとは、作家永井荷風が愛し「濹東綺譚」にも登場する隅田川の東、曳舟、京島、八広など墨田区の北部一帯です。昭和の風情ただようまち、東京スカイツリーに代表される近年の開発、以前からこのまちに住むひとびとの暮らしと、新しく生活をはじめたひとびとの暮らし。それぞれがつながり合い生まれる、まちと暮らしの新しいカタチを、このプロジェクトを通じて発信しています。

10月21日(金)~11月23日(水・祝)をメイン期間とし、この間で多くの展示やイベントをおこないました。以下では、墨東エリアで活動するアーティスト、拠点、個人や団体などの多彩なプログラムが参加する《ネットワークプロジェクト》20企画のうちのいくつかと、まちに住む人が企画した地域発見のまちあるき〈墨東まち見世さんぽ〉についてご紹介いたします。

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―(引用)「わたしの小さな生活」という、完全予約制の体験プログラムを紹介します。実際に人が住んでいる家を参加者に解放し、そこでの生活を追体験させる企画で、すぐ予約が埋まる人気の企画となりました。…


>〈きおくレストラン〉・報告
―(引用)EAT&ART TAROさん、住中浩史さん、鈴木真由子さんによる2つの食のアートイベントが、昭和初期古くからある旧家で開催されました。鈴木真由子さんは墨東エリアに生まれ育った地域の人。彼女にとってこの旧家は…


―(引用)水戸街道沿いにある東向島珈琲店(以下ヒガムコ)で「ヒガムコSound Table」が開催されていました。地元の人が多く訪れるこの店のカウンターでは、人と人との出会い、新しいアイデアの誕生など、毎日「何か」…


>モノつくりっ手・報告
―(引用)まち見世案内所のあったチャレンジスポット!鈴木荘で「モノつくりっ手…」が展示されていました。墨東エリアで活動をしている人の手を展示。加えて、その手が作っているモノの展示、ご本人を…


>チャリティーガチャガチャ〈ガチャレンジ!〉・報告
―(引用)まち見世案内所のあるチャレンジスポット!鈴木荘1階「紙工房 堂地堂」さんの店先に、ネットワークプロジェクト参加企画の一つ「チャリティーガチャガチャ〈ガチャレンジ!〉」が設置されていました。…


>一生の一冊・報告
―(引用)10月21日から10月28日までチャレンジスポット!鈴木荘202号室で、放浪書房さんの「一生の一冊」が開催されました。「一生の一冊」とは「人生の節目や岐路で影響を受けた本」です。墨東エリアで活動をされている方の「一生の一冊」を…


>物々交換本棚ブックツリー・報告
―(引用)終了した企画のご報告です。先日、10月23日から10月28日までチャレンジスポット!鈴木荘201号室で「物々交換本棚〈ブックツリー〉」が開催されていました。…


>「働くこと」きいてみよう!さんぽ・報告
11月3日に、墨東まち見世さんぽの「「働くこと」きいてみよう!さんぽ 」が開催されました。このさんぽは、まちゆく人に「あなたは労働コンプレックスですか?」と突撃インタビューをする体験型。参加いただいた方には…